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2018.07.08 Sunday

『ペトルス――謎のガンマン』   第10回

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    525日午前中、デンパサールの州警察本部

     

     タマン・サリまで出かけてあなたの職場で会えば、変な噂がたったりする可能性なきにしもあらずなので、あなたの方から州警察本部までご足労願えないだろうかと、グスティ・アグン・ライ警視が提案すると、スハルトノは渋々ながらそれを受け入れた。

     525日朝、警視はスハルトノと警察本部の会議室で向かい合った。

    「おいで願ったのはこの間の日本人女性、瀬田沙代とインドネシア人男性のスダルノ殺害事件の関係です」

     会議室には冷房が入っていたが、音のわりには送風口からは少し涼しい風が吹き出しているだけだった。湿度の調整がうまくできていないらしく、部屋の空気は重かった。スハルトノはポケットからハンカチをとりだして額をぬぐった。

    「これはどうも。あなたのオフィスに比べると居心地はよろしくないでしょうが、ご勘弁願います。われわれ捜査チームはいま、被害者の瀬田沙代が13日朝にデンパサールに来て、14日午前10時ごろデンパサールの路上で死体になるまでの、正確な足取りを追っています。これまでにわかったところでは、瀬田沙代は13日の朝9時ごろ家を出て、タクシーでデンパサールへ向かった。10時ごろにはインドネシア芸術学院に着いた。芸術学院には午後4時までいた。そこまでの行動ははっきりしています。それから午後420分、タマン・サリにチェックインした。あなたはその日の夕方、瀬田沙代と会ったそうですね」

    「ええ、彼女がジェネラル・マネジャーに会いたいとフロントで言ったものですから。ロビーに出てきて、そこでしばらく話をしました」

    「何時ごろでしたか」

    「午後6時ごろだったと記憶しています」

    「どんな話をなさったのか聞かせていただけますかな」

    「瀬田沙代さんはタマン・サリの常連のお客さんですし、私にとっては友人です。デンパサールでの用件とかウブッドでの最近の暮らしとかをお話し下さいました」

    13日夜や14日朝の予定については、何か話しませんでしたか」

    「ええ、13日の夜はアートセンターへガムランを聴きに行くとおっしゃっていました」

    14日の予定については何か」

    「いいえ、それはお聞きしていません」

    「そのあと、瀬田沙代に会いましたか」

     スハルトノは一瞬言葉につまった。だが、あきらめたように言った。

    「お客さまが夕食をなさるので、それにつきあって欲しいというご要望でした。コーヒーショップでおつきあいしました。ついでに申し上げれば、そのときの話題は、お聞きになられたばかりのアートセンターのガムランの演奏ぶりについてでした」

    「それから?」

    「それからとは?」

    「食事のおつきあいが終わったあと、どうしたか、とお尋ねしているのです」

    「私なら、そのあとまもなく帰宅しました」

    「何時ごろのことですか」

    「午後10時ごろだったように記憶しています」

    「それはおかしいですね。ホテルの地下駐車場からあなたの車が出て行くところを見た人がいます。その人は、それは13日夜の12時すぎのことだと言っています。13日の午後10時ごろから12時ごろの間、あなたはどこにいらっしゃったのですか」

    「お客さんのお食事につきあったあと、私はオフィスに戻り、書類を整理して部屋を出ました。12時ごろ私の車が駐車場を出るのを見たというのは、その人の勘違いではありませんか。あるいは警視さん、あなたが適当なことを言って、カマをかけているのかもしれない」

     スハルトノがおだやかな声で反論した。

    「いずれ、あなたの奥様にもおたずねしてみましょう」

     そう言ったあと、グスティ・アグン・ライ警視は質問の方向を変えることにした。

    「ところで、あなたは国軍のご出身だとお聞きしていますが。ホテルの仕事へ転身なさったのはいつごろのことですか」

    5年前に退役して、ジャカルタのあるホテルで営業関係の幹部になりました。そこに2年ほどいて、3年前に同じ会社が経営するこのタマン・サリ・ホテルのジェネラル・マネジャーになりました」

    「それはめざましいご出世ですな。入社五年でデンパサールのれっきとしたホテルの経営と管理を任されるとは。40歳で、たいしたものです」

     警視はスハルトノの年齢にさらりと言及した。いろいろあんたのことは下調べしてあるのだよ、とほのめかしたのだ。

    「軍では情報部門にいらっしゃったようですな」

    「コプカムティブ(治安秩序回復作戦本部)に始まりバコルスタナス(国家安定強化支援調整庁)まで、一貫して情報畑を歩きました」

     スハルトノが急に元気になって、警察の末端の現場にいるグスティ・アグン・ライ警視に圧力をかけるように背筋を伸ばした。インテル(情報機関)と聞いて緊張しないインドネシア人はいない。インテルとは英語のインテリジェンスをインドネシア風に短くした言葉で、情報機関あるいは情報機関員のことである。パソコンの「インテル・インサイド」と印刷されたラベルを見ていると、そのコンピューターを使って書いた文章や、やった作業が政府の情報機関にそのまま流れるのではないかと心配になってくる――そういう冗談が冗談ではなく生々しい事実に聞こえるほど、インドネシアの情報機関はスハルト体制維持のための裏工作を続けていた。

     スハルトノの贅肉のない体つきや、引き締まった卵形の顔の輪郭、大きな、それでいてずるそうによく動く目、短く借り上げた頭髪、左手薬指の厚手の金の指輪、右手にはめた腕時計――インドネシア国軍兵士の間で流行していた――からは、ホテルのマネジャーというよりは、まだ現役軍人のにおいが強くただよっていた。

     コプカムティブは1965年の930事件を契機にスハルトがスカルノから権力を奪ってインドネシアの新しい指導者になったさいに設立した。最初は930事件に関わったインドネシア共産党員(PKI)やその支持者の排除が目的だったが、やがて、スハルト体制に批判的な社会勢力全般に対する弾圧を担当するようになった。コプカムティブは1980年代後半になって解体され、代わってバコルスタナスが新設された。

    「デンパサールの陸軍第九軍管区司令部にも勤務されたことがおありですな」

    「コプカムティブは独自の組織を持っていたが、バコルスタナスは独自の組織を持たず、全国10の軍管区司令部の情報機能を強化し、同時にバキン(国家情報局)とバイス(軍戦略情報部)の2つの情報機関の情報協力を促進させる調整役だった。国内治安の情報収集の現場を軍管区の司令官がつとめることになった。この時代にスハルトノはデンパサールのウダヤナ師団司令部に治安担当将校として勤務していたのだ。

    91年から93年までデンパサールで勤務しました。そのあと退役して民間会社に勤め始めました」

    「カディール・イスマイル将軍のお供をしたわけですね」

    「ああ、あの方はいってみれば私にとっては父親のような存在だから」

     カディール将軍は退役後、スハルトのクローニーと組んでジャカルタの高級ホテルを買収し、ホテル・観光業に進出した。バリの観光開発もスハルト政権の手で進められた。観光用のホテルや関連産業はスハルト一族とその周辺にたむろする者たちが手にした。スハルトに近いことが利権を手に入れる近道で、外国資本にとってはさまざまな許認可を手に入れるにはスハルトに近い人物を抱きこむ必要があった。スハルトに近いと言うことでは、彼の家族以上に近いものはいなかった。スハルト一家とその取り巻きがKKN(汚職、癒着、縁故)の輪を作り、インドネシアをくいものにしていた。

     PPPというアクロニムもちまたで口にされていた。プトゥラ・プトゥリ・プレシデン(大統領の息子・娘)のことだ。子どもたちにまして、スハルトそのものが大統領職を利用して肥え太った。スハルトは10を超えるヤヤサン(財団)をつくって、場合によっては大統領令をだして自らの財団への寄付金納入を義務づけた。ヤヤサンはスハルトの集金機関だった。たとえばスハルトは1996年に貧困者救済のための財団をつくり、高額所得者に所得の2パーセントを財団に納めることを大統領令で義務づけた。スハルトの財団はこうして集めた金で一般企業の株を取得した。

     インドネシアでは出世の道は高級軍人になることでひらける。高級軍人になって、民間に天下りして裕福な生活をする。これが頭の良い若者の一つのコースだった。インドネシアでスハルトが軍を基盤に権力を強固にした1980年はじめには、インドネシア政府閣僚と閣僚級の中央政府高官の半数近くが軍出身者だった。政府機関の総裁・長官・事務長らの半分以上が軍出身者によって固められた。知事の7割に軍出身者が任命された。高級軍員の進出は内政にとどまらなかった。世界に散らばったインドネシア大使の4割以上に軍出身者が任命された。

     にもかかわらず、3人いるスハルトの息子たちで軍人になったものはいない。娘婿の1人が軍人だっただけだ。スハルトの子どもたちは、父・大統領の口利きで事業家になった。軍人になってそこからからはいあがっていく必要などなかったのだ。大統領に最も近い実業家のもとに、インドネシア資本はもとより外国資本も群がった。こうして、スハルトの6人の子どもたちは、農業、林業、鉱業・金属、石油・天然ガス、建設、運輸、金融、不動産、商業、観光、メディアなど、ありとあらゆる事業に関係するようになった。

     首都ジャカルタのスカルノ・ハッタ空港で発着する航空会社の中にはスハルトの息子の一人がオーナーに名を連ねているものがある。空港からジャカルタ都心に通じる有料道路もスハルトの娘が支配している。市内の高級ホテルに宿泊すれば、そこもまたスハルトの息子が率いる会社の経営だし、そのホテルに隣接する高級モールをのぞきに行くと、そこもまたスハルトの息子が関係している。

     スハルトの子どもたちはバリでも観光関連事業に参画し、濡れ手で砂金をつかむように稼ぎまくった。スハルトの長男シギットはバリ・クリフ・ホテルとニッコー・ロイヤル・ホテルの、次男バンバンはシェラトン・ヌサ・インダ・ホテルとシェラトン・ラグナ・ヌサ・ドゥアの、三男のトミーことフトモ・マンダラ・プトゥラはジンバランのフォーシーズンズ・リゾートやヌサ・ドゥアのバリ・ゴルフ・アンド・カントリー・クラブの、それぞれ共同経営者になった。

     バリで観光開発用地を取得するにあたって、トミー・スハルトは軍をつかって半ば強制的に土地を取り上げたと批判された。新しく開発された広大なビーチ付き観光ゾーンであるヌサ・ドゥアは周囲が柵で囲まれ、観光客しか中に入れない。観光客でない一般の人はゲートで追い払われてしまうのだった。

     小粒ではあるがカディール将軍もそうしたスハルト周辺にたむろする軍人の1人だった。

    14日の午前中、イダ・プトゥ・グデ・ダルマワンがタマン・サリにあなたを尋ねたそうですが、あいにくあなたはご不在だったと言っていました。どこかにお出かけでしたか」

     出し抜けに警視がたずねた。

    「あの日の朝はレギャンに行っていました。デンパサールのタマン・サリの経営が軌道に乗ったので、レギャンの海岸に良さそうなビーチ着きホテルをみつけ、買収話をまとめて、タマン・サリ・レギャンの名で開業しようという野心がありましてね。それであの日はたまたま午前中に手が空いていたので、レギャンをぶらついていたのです。これはまだ内密の計画なので、配慮をお願いします」

    「で、誰か知り合いと会いませんでした」

    「いいえ、知った人には会いませんでした」

    「そうですか。タマン・サリには何時ごろ?」

    「正午過ぎには出勤しました」

    「もう一つうかがいましょうか」

    「どうぞ」

     スハルトノの態度はいやに落ち着いていた。

    「瀬田沙代とはいつごろ、どんなきっかけで知り合ったのですか」

    「あの方はウブッドでガムランを習いながら、月に2度ほどデンパサールの芸術学院に通っていました。デンパサールに用があって、夜遅くなることがあるとタマン・サリに宿泊していました。美しい方だったので、日本の方ですか、こちらにお住まいなのですか、何をなさっていらっしゃるのですか、と私の方が声をかけたのがきっかけで、お友達になりました」

    「彼女のガムランの師匠がプリアタンのイダ・プトゥ・グデ・ダルマワンだと知ったのはいつごろですか」

    「知り合いになってまもなくのころです。ウブッドに住んで、師匠についてガムランを習っているとお話しになったので、当然のなり行きとして、お師匠さんの名前を聞きました」

     次に何を聞かれるのか。スハルトノの表情にちらりと不安の影が走った。

    「グデ・ダルマワンとはいつごろからの知り合いですか」

    「私がデンパサールで勤務していた1990年代の初めに知り合いました」

    「どんなきっかけで知り合われたのか、聞いてもいいですか」

    「バリに来る外国人の情報収集ですよ。彼の所にはウブッドの外国人の出入りが多かった」

    「ひょっとして、彼はコプカムティブからバコルスタナスに引き継がれた古い情報提供者の1人ではありませんか」

    「その質問については答えることができない。イエスといってもノーと言っても軍の機密にふれることになる。私はいま民間人だが、軍人であった時代に知り得た事項に関しては守秘義務をかせられている」

    「そうですな」

     とグスティ・アグン・ライ警視はあっさり折れた。

    「警察がウブッドなどで聞き込んだところでは、グデ・ダルマワンは930事件のあと、バリの共産党殲滅作戦で軍の先兵として働いたそうです。スハルトノさん、あなたにはそのころの資料をみて彼のことを知った。それでグデ・ダルマワンに接触して、情報提供者になるように依頼した」

    「先ほど言った理由で、ノーコメントだね」

    「あるいは、こういうことも考えられる。グデ・ダルマワンはそれ以前からコプカムティブ、あるいはバコルスタナスに情報を提供していて、あなたが前任者から彼を引き継いだ」

    「想像するのはあんたの勝手だ。だが、軍の内部情報を詮索しない方が安全だよ。どんな災難が降ってくるかもしれない」

    「おっと、この国じゃあ、民間人が警官を脅すのか」

     ライ警視がびっくりしたような声を出してみせた。だが、スハルトノの方もしたたかだった。

    「とんでもない。インドネシアでは、脅すのは警官の特技だろう。警官は民間人を脅しては小銭を搾り取ろうとしている。バリじゃあ、外国人も警官の被害にあっている。おもに車を運転する人だがね。四輪車やバイクを追いかけては、スピード違反とかなんとかいいがかりをつけて、小銭をゆすり取ろうとする。ジャカルタではもっと大がかりな詐欺のようなことをやっているそうじゃないか。ジャカルタのスマンギの立体交差だ。ガトット・スブロト通りからこの立体交差でおりて、スディルマン通りからタムリン通り方向に向かうためのランプウェーがしょっちゅう通行止めになる。それで車はもうちょっと西まで進んでからヒルトン・ホテル専用の入り口に降りて、駐車料を払ってヒルトン・ホテル構内を抜けて、スディルマン通りの北行き車線に出る。この通行止めがあまりにも頻繁に起きる。調べてみると、警察官とヒルトン・ホテルの駐車場係がぐるになって、通り抜けるために支払われた駐車料金を山分けしていたそうだ。これだけじゃないぞ。警官のゆすりたかりが目に余るので、軍から動員されたMPが街に出て、腐敗警官の取り締まりを始めた。バリの新聞にも載っていたぞ」

    「ゆすりで稼いでいるのは交通警官だ。私は刑事でいくら待ってもなんのおこぼれも転がってはこない。それはさておき、あなたは殺された瀬田沙代とどのくらい親密だったのかね。グデ・ダルマワンの暗い過去を彼女に教えた意図はなんだね」

    「ちょっと待ってくれないか。被害者である瀬田沙代についての情報を聞きたいと言いながら、あんたの質問はまるで俺と被害者の間に親密な関係があったと思いこんで、そのことを確かめようとするだけのものじゃないか。これはのぞき趣味で、捜査なんてものじゃない。そろそろこのあたりで失礼させてもらいたいな」

    「そのまえにあと一つだけゆっくり思い出して教えていただけないだろうか。今一度お尋ねするが、瀬田沙代は13日あんたと会ったとき、翌日の14日の予定について何かいっていなかったかな。どんな小さなことでもいいので、思い出していただけるとたすかるのだが」

    「心当たりはないな」

    「どうも、貴重な時間を割いていただいてありがとう。それから、出来るだけ記憶をたどって14日の午前中、あんたがレギャンにいたこと証言してくれそうな人を思い出しておいた方がいいと思うよ。タバコ屋でも、駐車係でも、不動産屋でもいい。れっきとしたホテルのマネジャーが、ホテルの物件を下見に行って、だれとも会わず、建物の外壁をながめただけで帰ってきたという話は、裁判所ではなかなか信じてもらえないかも知れないよ」

     警視がスハルトノに丁重な礼を言って、ついでにプレッシャーをかけた。

     

     

     

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