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2018.07.16 Monday

『ペトルス―‐謎のガンマン』   第11回

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     25日の午後遅くなってワヤン・ブラタ刑事とイ・バグス・マデ刑事の2人が聞き込みから帰ってきた。部屋に入ってきた刑事たちの体は、屋外の熱気をたっぷりと吸い込んでいた。そして今度はそれを部屋中に放出熱した。暑苦しいったらありゃしない。

    「お疲れさん。こっちの方はスハルトノから聞き出すのに失敗した。930事件当時の若かりしころのイダ・プトゥ・グデ・ダルマワンの活動について、そっちのほうはどうだった」

     警視が尋ねた。

    「あいつそうとうなあらくれだったようです」

     イ・バグス・マデ刑事が陽気な口調で言った。

    「いまはガムランを叩くだけの優しそうな手ですがね、昔はあの手にナイフや拳銃を持って手当たり次第に人を殺して回っていたようです」

     ワヤン・ブラタ刑事が補足した。

    「そうか。では、たっぷり聞かせてもらおうか」

     イ・バグス・マデ刑事とワヤン・ブラタ刑事の2人は、この日聞き込みのため再びウブッドに行っていた。

     インドネシアの初代大統領だったスカルノは、大統領職の後半の期間、独裁的な権力を握り、終身大統領の称号を議会から与えられた。そのスカルを退けて、スハルトが第2代大統領になった。スハルトは5年ごとに確実に大統領に選出されるシステムをつくりあげてスカルノをしのぐ権勢を誇ることになった。

     スハルト台頭のきっかけが1965930日夜から101日未明にかけて起きた930事件だ。これはいまだにその謎が解き明かされていないクーデター未遂とされている事件である。スカルノ大統領親衛隊長だったウントン中佐が、反スカルノ派の将軍たちが集まって将軍評議会なる組織をつくり、スカルノ打倒のクーデターを計画しているので、それを事前に防止しようと軍事行動を起こした事件で、陸軍参謀長ら6人の軍の将軍が殺された。当時陸軍戦略予備軍の司令官だったスハルト少将がウントン派の行動を制圧した。その勢いに乗ってスハルト将軍と陸軍は、930事件は、インドネシア共産党(PKI)が企んで、ウントン中佐にやらせた陰謀だと断定し、大がかりな共産党殲滅作戦を開始した。

     PKIとその支持者たちがスカルノの権力基盤だった。PKIをつぶしてしまえば、スカルノは政治的な動員力を失い、インドネシア独立の父という栄光だけに頼って政治を運営しなければならなくなる。

     スハルト将軍がこのとき率いたインドネシア国軍の共産党殲滅作戦で死んだインドネシア人の数については10万人から100万人まで、諸説がある。100万人といった大量殺人説は主として外国のメディアが報じた数字がインドネシアに逆輸入されたものだが、インドネシアの宗教団体ナフダトゥル・ウラマを率いるアブドゥルラフマン・ワヒドは、あのときイスラム教徒がインドネシア共産党員やその支持者50万人を殺したと語り、インドネシア人をびっくり仰天させたこともあった。

     この殺戮事件が悲惨なのは、被害者の多くを殺したのが兵士ではなく、軍に共産党粛清そそのかされて武器を手渡された民間人だったことだ。

     そして、事件の背後にあったものは、権力奪取のためには国民同士の流血さえものともしない権力者の冷血だった。

     1989年に出版されたスハルト大統領の自叙伝で、スハルトはこういった。「共産党を破壊することが私の最大の義務である。この闘争には軍を直接使うよりも、国民が自らを防衛し、彼らの周りから邪悪の根源を一掃するのに手を貸す方法を、私は選んだ」。たとえばイスラム教徒と共産主義者の間の亀裂や、地主と小作人の間の土地争いを利用して、共産党に対する憎しみをあおったうえで、一方に武器を与えて昨日までの隣人を殺させた。

     共産党殲滅作戦はジャワ中部からバリ島にかけて熾烈だった。バリ島での死者は2万から数十万人と伝えられている。

    「イダ・プトゥ・グデ・ダルマワンが、バリの共産党殲滅作戦とどのように関わっていたかという点ですが、そのことが今度の日本女性殺しとどんなふうに関わっていると警視は疑っているんですか」

     イ・バグス・マデ刑事がまじまじとグスティ・アグン・ライ警視をみつめた。

    「正確に言うとだね、疑いがあると考えているわけではないのだよ。だがね、グデ・ダルマワンはなんと言ったと思う。930事件後のバリのPKI殲滅に、グデ・ダルマワン自身が加担していたと、スハルトノが殺された瀬田沙代に言ったので、スハルトノに文句をいうためにデンパサールまで出てきた。あの男はそう言った。ちょうど同じ朝に、その話を聞かされた女が死体になった。スハルトノが女に話したことの内容と女の死はたぶん関係ないのだろう。930事件の隠蔽された過去が、いまになって日本人の女の死に関係するなどという話は、小説の世界だろうね。おそらく関係はないのだろう。関係がないなら関係がないで、このさいそのことをはっきりさせておきたいわけだ」

    「さすがに警視だけあって隙のない捜査ですな」

     イ・バグス・マデ刑事が嫌みっぽく言った。

    「炎暑の中を情報集めのためにあてもなくほっつき歩くつらさはわかるが、捜査というやつは最初のところをしっかりと固めておかないと、あとの捜査があさっての方を向いてしまうことになる」

    「警視、お言葉ですが、あてもなくほっつき歩いていたわけでなく、しっかりした情報を仕入れてきました」

     バグス・マデ刑事が一転、今度は笑顔で警視に語りかけた。

    「あの事件の記憶はバリ人にとっては一刻も早く消し去りたい悪夢ですよ。何しろ隣人、ご近所、隣村の同じバリ人同士が刃物で殺し合い、片方が殺人者になり、もう一方が被害者になった。だから、普通のバリ人はあのときのことについては、いまでも口を閉ざして語ろうとしません」

     1963年に聖なる山グヌン・アグンが大噴火を起こして、大勢の人が死んだり家を失ったりした。PKI1964年から、地主の余剰地を奪って、それを小作人に分け与える運動「アクシ・スピハック(一方的活動)」を繰り広げた。バリの人の中には、ヒンドゥー教に信心深く、平穏を第一とするバリの慣習や文化を、PKIが破壊していると考えていた者も少なくなかった。このさい一度バリの地を禊ぎにかけなくてはならないという風潮も蔓延していた。あのころのバリには、共産主義が諸悪の根源というデマゴギーをすんなり受け入れる条件があった。

    「バリのPKI殲滅は196512月から翌年にかけてがピークでした。スハルトが派遣したジャワからの軍隊がやってきて、バリの村々に共産主義者をやっつけろと号令をかけた。軍と、それに警察も、PKIとその追従者と疑った人々をトラックで倉庫に運び込んで、一斉射撃で射殺した。死体は海に投げ捨てるか、大きな穴を掘って投げ込んだ。PKIと見なされた人々に対する憎しみを、ブラフマンの僧や呪術師のバリアンが村人にふきこんだ。あいつらを殺せと指示した。

     「インドネシア国民党(PNI)はスカルノが育てた政党だったが、スカルノがPNIよりPKIを寵愛するようになったので、PKIに憎しみを抱くようになった。PNIPKIに対する攻撃を聖なる戦いだと村人に教えた。悪に染まっている人を殺すのは、その人をいい人に生まれ変らせるための慈悲の行いだと教えた。いったん共産党追放が大運動になると、共産党員はあきらめて、白装束でおとなしく警察官に先導されて処刑場に引かれていった――バリの人がPKI殲滅について語るのは、この程度の真偽いりまじった伝説風の漠然とした話で、誰が誰を刺し殺したとか、撃ち殺したとか、石で頭を割って殺したとかの、具体的個別的な話は決して語られることがありません」

     と、バグス・マデ刑事が力を込めた。

    「あの事件のころウブッドで警察官をしていた男がいま、ウブッドの近くのテガラランという村に住んでいるという情報を得ましてね。テガラランというのは、それ、外国人の観光客がよく訪れる棚田で有名なところです。チョコとよばれている70がらみの老人です。その男を訪ねたら、すらすらと当時の記憶を話してくれましたよ」

     刑事が得意げに鼻の穴をふくらませた。

    「チョコの記憶ではイダ・プトゥ・グデ・ダルマワンはそのころは20歳前後の若者で、PNIの支持者だった。バリのPNI支持者が集団で共産党員やその支持者を襲い始めたとき、グデ・ダルマワンもその中に加わっていたそうです。彼らは軍から回ってきた共産党員のリストをもって、ムラを回り、該当者を見つけてナイフや刀で刺し殺した。そのリーダー格の一人がグデ・ダルマワンだったそうです」

    「グデ・ダルマワンが具体的にどこの村の誰をどんな風に殺したかという話をしてくれたか」

     警視が質問した。

    「そんなこと、知っていても話すわけがないでしょうが、警視。ですがチョコはこんなことを言いましたよ。グデ・ダルマワンはインドネシア国民党の青年組織のメンバーだった。東ジャワでPKI殲滅に力を貸したイスラム団体ナフダトゥル・ウラマの青年組織アンソルのメンバーが海峡を越えてバリまでやってきた。警視、ご存じでしょう。アル・アンサル、すなわち預言者に従うものというアラビア語に由来する名前で、インドネシア独立前の1934年に結成された組織です。イスラムの暴れ者たちがヒンドゥーの地に乗り込んで殺戮を始めた。グデ・ダルマワンは東ジャワからやってきたアンソルのメンバーともしばしば行動をともにしていたそうです。同時に、やつはデンパサールのウダヤナ師団に足繁く出入りして、師団の方も彼のグループを訓練し、武器も渡していたらしい。グデ・ダルマワンがこれ見よがしに拳銃を見せているのをチョコも見ていると言っています」

    「警視、あのころはみんながよってたかって相手を殺してしまった恐ろしい時代ですよ。共産党員を殺したが、その共産党がいったいどこのだれだったか覚えていない。大勢で殺したので自分の暴力が致命傷になったのか、いっしょにやっただれかが殺したのかさえもはっきりしない」

     と、ワヤン・バラタ刑事がつけ足した。

    「ですが、警視。チョコが面白いことを言っていましたぜ。グデ・ダルマワンの密告で、ガムランの仲間がデンパサールの軍司令部にしょっ引かれたそうです。チョコはそれ以上のことは知りませんが、前にもちょっと話に出た絵描きのイダ・バグス・チャンドラが詳しいことを知っているかも知れないと言っていました。きょうのところはこのくらいです」

     イ・バグス・マデ刑事はそろそろ帰宅したくなってきたようだ。彼もデンパサールのアマチュア・ガムラン・グループの一員で、4人で叩く楽器レヨン担当の1人だ。今夜は練習の夜かも知れない。

     

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