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2018.09.14 Friday

『ペトルス――謎のガンマン』   第13回

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    「グレゴール・クラウゼがバリの写真集を1920年代に出版すると、それを見たドイツ人の画家ヴァルター・シュピースをはじめとする西洋人がどっとバリにやって来るようになった。1924年にスラバヤとバリのシンガラジャの間に定期航路が開かれた。この時をもってバリが世界に紹介された、と西洋人は言う。バリ人にいわせれば、ひからびて疲れ切った西洋人がバリにやって来て、異質のみずみずしい文化に目覚め、蘇生した時代です。このころ、ヴァルター・シュピースら西洋人とバリの画家たちが「ピタ・マハ」(偉大な光)という芸術家協会をつくり、そこで西洋絵画の技法をバリの伝統絵画に組み込んだいまのようなバリ絵画の基礎が築かれたわけです」
     ヤギひげをはやし、なかなかに眼力のある目でときに優しくときに鋭く相手を見すえるこの四〇男、イダ・バグス・チャンドラはもともと話し好きな性格なのだろう、彼のバリ絵画の歴史についての説明はなかなか終わりそうになかった。急ぐこともないだろう、とライ警視はチャンドラが話を続けるにまかせた。
    「ヴァルター・シュピースにとってはバリの暮らしは、まさに、天国の暮らしだったでしょう。だが、天国もずっと天国のままでは続かない。ドイツ国籍のシュピースは、インドネシアを植民地にしていたオランダに嫌われ、ホモセクシュアルの容疑で逮捕された。そのあと第2次世界大戦が始まると敵国の市民ということで拘束され、1942年にスマトラからセイロンに移されるとき、乗っていた船が日本軍の魚雷攻撃で沈没してしまった。シュピースはそのとき死んだらしい。
    「ざっとそういう話を、あれは1年以上も前のことだが、ウブッドの芸術家の集まりで話したことがありました。そのとき、参加者の中に瀬田沙代がいて、知り合ったのです」
    「なかなかいい講演だったことでしょうね。私もいま拝聴して、目から鱗が落ちる思いです」
    ライ警視は見え透いたお追従を口にした。見え透いていても、お追従を言われて気を悪くするやつは見たことがない。
    「ところで、先ほど拝見した瀬田沙代をモデルにした、あの絵はいつごろから描き始めたものですか」
    「3ヵ月ほど前からです」
    「彼女をモデルにしたいきさつを聞かせてくれませんか」
    「ある日、沙代さんがアトリエの前を通っていたので、お茶でも飲んで行かないかと声をかけた。アトリエで世間話をしていたら、ゴング・ケビャールの話になりましてね。あの耳をつんざくようなバリ独特のガムランであるゴング・ケビャールは20世紀に入ってシンガラジャの村で生まれた新しいガムランの演奏方法だが、あのケビャールとバリにやって来て新しい絵画運動に参加した西洋人とは、何か関係があるのではないかということを彼女は尋ねました。私は絵を描くだけで、ガムランのことはよく知りません。ただ、寺院や王宮で演奏されていた昔のゴング・グデもまた大音響でしたから、音の大きさは西洋人と関係ないのかも知れませんな、などとお茶を濁していたのです。
    「すると、彼女が突然思いがけない提案をしてきました。『費用は惜しまないから、私の肖像画を描いてくれないか』と。絵からガムランの音が響いてくるようなポートレートを仕上げて欲しいという希望でした。サロンを着て、上半身は裸で、頭上にガボガンをのせるポーズは彼女自身の提案でした。沙代さんは何度かここに来て制作のためにポーズをとってくれました。ですが、あの野郎が……」
    とイダ・バグス・チャンドラが憎々しげに言った。
    「誰のことですかな」
       警視が身を乗り出した。
    「沙代さんのガムランの師匠ですよ」
    「イダ・プトゥ・グデ・ダルマワン?」
    「ああ、沙代の絵を描くのをやめろと、あの野郎ここに来ておれに怒鳴ったんだ。彼女が希望して、自分で制作費を負担して、自分をモデルにして描いてくれと言った仕事だから、彼女の了解なしでやめるわけにはいかん。おれはあいつにそう言ったんだ。するとあいつ、沙代を裸にして描くことはないだろうとわめいた。バリの女はちょっと前まで上半身裸だったぜ。そう言ったら、あいつやにわにおれにつかみかかってきた。それでおれはあの男を突き飛ばしてやったんだ。あいつ床の上に尻餅をつきやがった。てめえ、沙代と寝たな。ダルマワンがそうわめいたんだ。いい歳をしてあいつ嫉妬してやがった。それで俺もあいつに言い返してやった。そうとも、沙代と寝たさ。よかったぜ」
    「絵描きが女のモデルとできるというのは、西洋ではちょいちょい聞く話だが、バリのウブッドでもそうなんだね」
    ライ警視が冷やかし気味に言った。
    「よせやい、売り言葉に買い言葉、あいつをちょっとからかっただけのことだ」
    イダ・バグス・チャンドラが怒ったような声で言い、それから何となく照れくさそうな顔を見せた。
    「そういうことか。被害者の日本人の女は、自分の師匠である五〇男と情を通じる一方で、ウブッドの絵描きさんともいい仲になり、デンパサールにも男がいた、というわけだ。それで3人の男は日本の女に手玉にとられてお互いにいがみあっていた。瀬田沙代は殺されてしまったし、その亭主も親も日本に帰った。話が少々個人的なことに立ち入っても、私がしゃべらなければ、どこからも苦情はこない。嫉妬に狂ったガムラン師匠が女弟子を殺した、なんて筋書きもありうるわけだね」
     警視が皮肉っぽく絵描きに言った。
    「沙代は変った女だった。グデ・ダルマワンやスハルトノと寝たときの様子の一部始終をよく俺に話した。アトリエでサロンだけの姿になって絵のポーズをとりながらそういう話をおれに聞かせるんだ。何を考えているのかよくわからないところのある女だった。スハルトノやイダ・プトゥ・グデ・ダルマワンにも同じようなことをしゃべって、相手を挑発しておもしろがっていたんだろうな」
    「色情狂だったのだろうか」
    「男だったらあの程度のことは誰だってやっているさ。女だからという理由でニンフォマニアのラベルをはるのは、いまの時代にあわないぜ、警視さん。われらがブン・カルノの愛の遍歴をご存じだろう! 最初が書生として仕えた師チョクロアミノトの娘のウタリ、次にバンドン工科大学生のころの下宿先の人妻インギット、流刑先のスマトラでメガワティの母親のファトマワティ、大統領となってからは5人の子持ちの人妻ハルティニ、日本から輸入した根本七保子ことデウィ、さらにハリヤティ、高校生だったユリケ。それ以外にも昼寝の友として大勢のベッドメイトを用意させた。強精剤や性欲増進剤のお世話になりながら、ブン・カルノはせっせと励んだわけだ。なぜかって? 人間みんな心のどこかにぽっかりとあいた空洞をかかえている。その空洞を埋めるためにせっせとセックスにはげむのだ」
    「瀬田沙代の心の空洞は何が原因だったのだろうか?」
    警視が言った。
    「おれが描いたポートレートをじっと見つめているとそのうちわかってくる。ハッハッハ……冗談はさておき、おれやスハルトノと違って、グデ・ダルマワンは本気であの女に惚れていたのかもしれない。女に惚れると、あいつは昔から突っ走る悪い癖があった」
    イダ・バグス・チャンドラがもったいぶったしゃべりかたをした。やっこさん、しゃべりたくてうずうずしてるな、と警視は感じた。
    「ほう、前にも似たようなことがあったのかい」
    警視が水を向けた。
    「やつの惚れ癖の強さはやつの病気だ。警視さん、ご存じかな。もう何年も前の話だ。グデ・ダルマワンの日本人の女弟子が自殺したことがあった。それがもとであいつは女房と口論続きの毎日になり、とうとう夫婦別れになった。どっこい、ダルマワンのやつ、前の女房と別れたとたん、別の若い女をちゃっかり新しい女房にした。別れた妻というのがかわいそうな人でね。ゲスタプ(9.30事件)のあと、バリでもいろいろもめごとがあった。あのころ、20歳そこそこだったグデ・ダルマワンは、イ・ワヤン・スタマというウブッドではちょっと名の通ったガムランの師匠に弟子入りしていた。師匠は30半ば、グデ・ダルマワンは20前後、師匠の妻はニラといった。中ジャワのソロで生まれ育った30前の女だった。よくあることだが、ダルマワンの野郎、師匠の妻といい仲になりやがった。ゲスタプの時は、中ジャワや東ジャワと同じように、バリの町や村でもおびただしい流血があった。殺された人も多かったが、大勢の人が軍や警察に引っ張られた。その多くがそのまま行く方知れずになった。あれは1966年の初めだったかな。デンパサールの司令部からコプカムティブの兵隊がやって来て、ワヤン・スタマをひっぱって行った。師匠はそれっきり家には帰らなかった。4月ごろにデンパサールの司令部から、師匠は共産主義者で、ブル島の収容所に入れられていたが、最近病死したので島の墓地に埋葬したと連絡してきた。次の年イダ・プトゥ・グデ・ダルマワンは念願の師匠の妻を手に入れて女房にした。悪知恵をめぐらして手に入れた女とそれから20年ほどして切れたわけだ」
    「面白い話だね。少し詳しく話してもらえないだろうか。いま『悪知恵』をめぐらしていったけれど、どういう悪知恵だったのだ」
    警視がつっこんだ。
    「いまじゃ年寄以外に知る人は少なくなったが、当時はよく知られた話だった。おれはしょっぴかれたイ・ワヤン・スタマの遠縁にあたる。それで親戚のものから話を聞かされて覚えているんだ。ワヤン・スタマがしょっ引かれたのは、グデ・ダルマワンの野郎が、ワヤン・スタマが共産主義者だとあのコプカムティブに野郎がたれこんだからだ。あいつ、いまではコプカムティブにたれこんだというのはためにするいいがかりだ、と言っている。だが、コプカムティブからワヤン・スタマがブル島で死んだという知らせが来た1966年に、ワヤン・スタマの親戚があいつを取り囲んで責めたときは、『このままでは師匠がアンソルの手にかかって殺されてしまうと考えた。師匠は、自分は共産主義者ではないと言っていたので、このことをコプカムティブに告げて師匠を保護してもらおうと思った』と言い逃れを言っていた。師匠が死んだあと、できていた師匠の女房といっしょになったのだから、証拠は歴然たるものだ。師匠に対する弟子として恩義から、尊敬する師匠の死で呆然となっているその妻を守ってやろうとした。あいつは屁理屈を並べ立てた」
     話すイダ・バグス・チャンドラの顔が興奮で紅潮してきた。
    「デンパサールのコプカムティブで働き、いまはホテルの支配人になっている沙代の愛人スハルトノのところにグデ・ダルマワンがおしかけていった。沙代が殺された5月14日朝のことだ。ダルマワンの暗い過去をスハルトノが沙代に告げ口したと、ダルマワンが怒ったということだった」
    バグス・チャンドラの口をなめらかにする潤滑油に、警視は捜査中の情報をまたちょっとだけ持ち出した。
    「それに、ダルマワンは沙代から大金を借りていたらしい。沙代は金持だった。おれに肖像を描いてくれと頼んだとき、アメリカ・ドルで2000ぐらいまでなら出してもいいと言った。あのころはタイで始まったアジア金融危機がインドネシアに波及して、どんどんルピア安になっていたので、彼女がドル建てで提案したのだ。また、沙代は由緒あるガムランの楽器を買い集めてもいた。日本に持ち帰ってガムラン教室をつくるのだと言っていた。そのスタジオにおれが描いた沙代のポートレートをかけるつもりだったらしい。それはさておき、ダルマワンは沙代から借りた金を何に使ったのか。調べみると面白いことがわかるんじゃないか」
       バグス・チャンドラは得意満面の表情だった。
    「あんたもダルマワンが過去に師匠を裏切ってその女房を奪ったと言う話を瀬田沙代にしたのか」
    「おれが話すまでもなく沙代の方から言い出したよ。スハルトノから聞かされた話をね。沙代はここで肖像画のためのポーズをとりながら、スハルトノが言ったことをおれに話した。それでおれはことの詳細を彼女に話してやった。そのあと、ダルマワンが、沙代とおれができているだとか、スハルトノとできているだとか、嫉妬をめらめら燃え上がらせたとき、沙代は師匠を死なせてその妻を奪った男にそんなことがよく言えるもんだ、とダルマワンをからかった。沙代からそのことを聞いたよ」
    「いつごろのことだ」
    「5月のはじめごろだった」
    「師弟の関係は破綻していたわけだ」
    「おれだったらそんな弟子はすぐさまほうり出すんだが、沙代から大金を借りているうえ、沙代に未練があるダルマワンにはそれができなかった。人生がたそがれ始めた50男の愛には悲しいものがある。それを知っていて、沙代はダルマワンをこづき回して楽しんでいたふしがある」
    「ところで念のために尋ねるのだけれど、5月14日の午前中、あんたはどこにいた?」
    「沙代殺しのことでおれを疑っているのではないが、念のため、おれが事件とは無関係であることをこのさいはっきりさせておこうと、ご親切にもお尋ね下さっているんだね」
    バグス・チャンドラが嫌みたっぷりな顔をライ警視に向けた。
    「ああ、そういうことだ。察しがいいね」
     警視は苦笑した。
    「あの朝は一人でブサキ寺院に行っていた。このヒンドゥーの島の至高の寺院にね」
    「オダランでもあって、画題のために見に行ったのか」
    「そういうんじゃないんだ。神々の膝の上に座って考え事をしようと思っただけのことだ。ブサキ寺院があるグヌン・アグンは、神々の住まいたまう聖なるメール山の土のひとかたまりをバリに運んで出来あがった山だ。頂上に登るまでもなく、ブサキ寺院あたりからでも、バリを見下ろせば、その景観は絶品だよ。西の方角にはバリ第3の高山バトゥカルが見え、南の方角に目を向ければサヌールの海岸がかすんでいる」
     ブサキ寺院はバリ島の東部にそびえる3000メートルを超えるバリの最高峰グヌン・アグンの標高1000メートルほどの斜面につくられた大規模な寺院コンプレックスである。シヴァ、ヴィシュヌ、ブラフマーの三大神を祀っている。寺院の中核は18ある大寺院でこれらの寺院はインドネシアのヒンドゥー教徒の全国組織であるパリサダ・ヒンドゥー・ダルマ・プサットが管理している。そのほか地縁血縁で結ばれた共同体のための寺院が並んでいる。
     1963年のグヌン・アグン大噴火のときは、あわや寺院が山の斜面を流れ落ちてくる溶岩にのみこまれるかという危機に見舞われた。だが、ブサキ寺院は奇跡的に難を免れた。溶岩が寺院を避けるようにして流れたのだ。このことでブサキの神聖さがバリの人々の間で一段と高まった。
    「そうか。ブサキでだれか知り合いに会わなかったか」
    警視がたずねた。
    「いや、知り合いには会わなかった」
    「ブサキでなにか記憶に残るような出来事はなかったかね」
    「寺院の入り口で、寺院にたむろしているガイドともめている外国人の家族がいた。ブサキ寺院には寺院公認のガイドの付き添いなしでは観光客は入れないことになっている。ところが、ガイドの中には非公認のものもいるし、法外なガイド料を要求するやつもいる。その外国人はジャカルタからバリに避難してきていた家族づれのドイツ人で、退屈なので、ブサキを見に来たそうだ。ドイツ人の夫婦は、頼みもしないのにこの男が勝手についてきて、何を言っているのかよくわからないことをしゃべり、ここまで帰ってきたらガイド料を払えと要求する。私はガイドをしてくれと頼んだ覚えはない。ブサキで毎日繰り返される外国人観光客と、観光客から金を巻き上げようとする自称ガイドのもめ事だ。間に入ってもめ事を解決してやったが、そのドイツ人の家族はもうジャカルタに帰っているだろうし、ガイドの顔もおれは覚えていない」
    「ここを出たのは何時ごろだった?」
    「朝8時ごろだったと思う」
    「帰ってきたのは」
    「午後1時すぎだ。というわけで、いまのところおれのアリバイは成立していない。容疑者の資格ありだな」
    「瀬田沙代からあの肖像画の制作費は払ってもらったのか」
    「完成してからでいいといって、まだ1セントももらっていなかった」
    「瀬田沙代の銀行口座を調べたが、ドル預金や円預金からそれだけの金を一度に引き出した記録は残っていなかった。だから、あんたが金をもらう前に瀬田沙代を殺すわけはない、というのも理屈だ」
    「警視、あんたは警官にしては言うことが論理的だね」
    バグス・チャンドラがにやりと笑って、警視を冷やかした。

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