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2018.11.10 Saturday

『ペトルス――謎のガンマン』  第20回

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     それから2年がたった。

     雨季から乾季へ、乾季から雨季へと繰り返しているうちに、1997年のアジア金融危機や、その翌年のスハルト大統領退陣にまで発展したインドネシア騒乱によって激減していた観光客が、またバリに戻ってきた。バリ島のお得意さんは日本人、オーストラリア人、韓国人で、日本人は毎月3万人近くがやってくるようになった。

     バリ島の住民と観光客はこの2年間を平穏に過ごしたが、マルク諸島では新しい争乱が始まった。1998年末から99年初頭にかけて、マルク諸島のあちこちで、キリスト教徒とイスラム教徒の反目が強まり、やがて大規模な武力抗争にエスカレートしていった。

     インドネシアは宗教的にはムスリムが圧倒的多数派だが、ヒンドゥーの島バリのような例外もある。マルク諸島ではキリスト教徒とイスラム教徒の人口比率が五分五分である。アンボンを中心にした南マルクのキリスト教徒はインドネシアが独立したさい、ムスリムが多数派をしめるインドネシア共和国に組み込まれるのを拒否して、南マルク共和国の樹立を宣言し、共和国からの分離活動をしたことがある。そうした宗教対立が紛争の背景にあるという説や、スハルト退陣後に権力と権益を奪われ始めている軍部が、騒動を起こすことで巻き返しを図っているという政治的陰謀説などがあった。

     マルクに派遣された軍の治安維持部隊や警察の機動隊でさえ、イスラム教徒側とキリスト教徒側に別れて紛争を支援するしまつだ。ジャワ島で結成されたラスカル・ジハードという名のムスリムの民兵組織がマルク諸島へ支援に向かった。

     ハビビ大統領の後継、アブドゥルラフマン・ワヒド大統領はこの動きを阻止するよう治安当局に命令したが、大統領の命令はうやうやしく無視された。武力抗争による流血はますます激しくなった。南海の島は決して楽園ではない。「多様性の中の統一」がインドネシア共和国の国是だが、それはいまなお統一の完成までに長いながい時間を必要とする壮大な希望のスローガンにとどまっている。

     バリ島では時間は比較的平穏に推移した。といって、グスティ・アグン・ライ警視の仕事が暇だったわけではない。瀬田沙代の事件の3ヵ月ほど後には、オーストラリア人の女性が自宅で殺された。オーストラリア資本の工場の管理職だったが、ナイフでめった突きにされて死んでいた。さらにそれから数ヵ月後には、日本人女性が強姦殺人事件の被害者になった。死体はデンパサール郊外の藪の中に放置されていた。この2つの事件はつかまえた容疑者が被害者から奪った高級腕時計を持っていたことや、DNAの一致ですっきりと解決した。

     鷹石里志は引き続きウダヤナ大学で日本語を教えながらバリの隠居生活を楽しんでいた。仙台の倉田夫妻から20001月にもらった年賀状には、「せっかくいただいた絵ですが、見るのがつらくなり、焼いて灰にし、沙代の墓に納めました」とチャンドラ画伯の傑作の顛末が書かれていた。ジャカルタの宮内から、瀬田誠が当初の投資資金の倍額で会社の経営権を譲渡した、という話を聞いた。ジャカルタから撤退し、メキシコシティに仕事も暮らしも移したという。

     こうして瀬田沙代殺しの一件はグスティ・アグン・ライ警視と鷹石里志の頭から消えかかっていた。

     

     200011月中旬、日本を訪問したペルーのアルベルト・フジモリ大統領が日本から大統領職の辞表をペルー議会に送り、事実上日本に亡命した。やがて、フジモリ氏はペルーと日本の二重国籍者であるといううわさが流れはじめた。

     127日の木曜日、鷹石はウダヤナ大学の日本語の授業が終わったあと、教材用に講読している日本の新聞でフジモリの日本国籍のことを興味深く読んだ。1128日の新聞は、アルベルト・フジモリ氏が日本の国籍を持っていることを、日本政府が公式に確認したと報じていた。日本名を藤森謙也という。フジモリ氏がペルーの首都リマで生まれたとき、日本人の両親が日本の領事館にも出生届けを出したために、ペルーと日本の国籍を取得することになった。

     鷹石がまだ日本の大学で比較政治学を教えていたころ、ウルグアイ出身の日系2世の大学院留学生を指導したことがある。その学生は日本の文部省から国費留学生として奨学金付きでウルグアイから招かれていた。その学生が夏休みにタイ、マレーシア、フィリピン、インドネシアを周遊する旅に出るといった。

    「日本人は東南アジアの国のほとんどにビザなしで観光旅行ができるが、ウルグアイの人はどうなのかな」

     と鷹石はその学生に尋ねた。

    「いや、日本の旅券で出かけますから大丈夫ですよ」

     そのころまでには鷹石に対してうち解けてきていた学生が言った。

    「私はウルグアイ国籍ですが、日本国籍ももっています。ウルグアイのモンテビデオで私が生まれたとき、両親が日本領事館に出生届を出しました。ウルグアイは国籍に関しては出生地主義で、日本の方は血統主義です。そういうわけで2つのパスポートを持っています」

    「そういうことか、便利なもんだね」

    「日本の国籍法は二重国籍者にどちらか一方の国籍を捨てるよう迫りますが、日本とウルグアイの二重国籍者の場合、そうした二者択一では日本国籍を捨てることになるんです。ウルグアイ憲法は、ウルグアイ人はウルグアイの国籍を捨てることができないと定めています。従って日本国は日本人にたいして日本の国籍を捨てろといっているわけです」

     それを聞いて鷹石は思わず笑い出してしまった。なんというブラック・ユーモア。その学生はまた、ウルグアイでは初等教育でウルグアイ人の祖国はスペインだと教えていると聞かせてくれた。中南米はブラジルをのぞき、スペイン語圏だ。そういえば、1990年のペルーの大統領選挙で、アルベルト・フジモリ氏と大統領の椅子を争ったペルーの大作家マリオ・バルガス・リョサ氏はスペインの国籍も持っているといわれている。

     ここで、鷹石はあることを思い出し、急いで電話のある講師の部屋に急いだ。

    「こんにちは。グスティ・アグン・ライ警視をお願いします。こちらタカイシ」

    「スラマット・シーアン。お待ち下さい」

    「おー、鷹石さん。ご機嫌いかが?」

    「元気だよ。そっちは? ところで今日帰りに私の家に寄らないか。瀬田沙代の件で面白い話を聞かせるよ」

    「わかった。寄るよ。楽しみにしている」

     

     

     

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