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2018.11.26 Monday

『ペトルス――謎のガンマン』   第22回

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     12月8日、グスティ・アグン・ライ警視はまず瀬田誠の身元を知る作業から始めた。2年前の5月に瀬田誠が州警察本部に来たときにとった彼のパスポートのフォトコピーを瀬田沙代事件の一件書類の中から引っ張り出して来て、デスクに置いた。瀬田誠の旅券を開くと、

    「旅券 PASSPORT 日本国 JAPAN」の下に、以下の瀬田のデータが印字されていた。

      Type(型): P
      Issuing Country(発行国): JPN
      passport No.(旅券番号): JT9169636
      Surname(姓): SETA
      Given name (名): MAKOTO
      Nationality(国籍): JAPAN
      Date of Birth(生年月日):  22 APR 1961
      Sex(性別): M
      Registered Domicile(本籍): TOKYO
      Date of issue(発行年月日): 11 JUL 1996
      Date of expiry(有効期間満了日): 11 JUL 2001
      Authority(発行官庁): CONSULATE-GENERAL OF JAPAN
      AT JAKARTA

      「Makoto Seta」とローマ字の署名がある。そのページの下部に下に追記が一行。

      THIS JAPANESE PASSPORT IS NOT MACHINE READABLE

     これがいまのところライ警視が瀬田誠について知るデータのすべてだ。これをもとに瀬田のポートレートを描いて行かなければならない。イダ・バグス・チャンドラがガボガンを頭上にのせた上半身裸のイダ・アユ・ングラこと瀬田沙代の妖艶な肖像を描いたように、妻殺しの夫の凶悪なポートレートの細部が、日本やメキシコに出かけて捜査することもできず、デンパサールに閉じこめられているこのおれに描けるか。ライ警視は心許なかった。
     ライ警視はスラバヤ総領事館デンパサール駐在官事務所に電話を入れた。さきごろ久保田尚が東京の本省に帰任し、後任領事に内藤明彦がおさまってまっていた。
    「内藤さん、これから日本のパスポートのことで質問がありますので、会っていただけますか」
    「もちろん、いいですよ。できれば午後2時ごろが私には都合がいいのですが」

    ライ警視は内藤の事務所で瀬田の旅券のフォトコピーを一部領事に手渡し、旅券の読み方のレクチャーを受けた。
    「まず、最初のタイプPというのは何でしょうか?
    「ああ、これですか。Pは英語のパスポートの最初の文字です。つまりこれがパスポートであるという認識符合です。日本では1992年の終りごろから、機械MRP(読取り式旅券)への切り替えが始まりました。それ以前の旅券にはPの符合は印刷されていませんでした。フォトコピーされたパスポートはジャカルタ総領事館で更新されたもので、Pの記号はついているものの、機械読み取り式になっていないタイプです。旅券保持者の身分について記載してあるこのページの一番下に「CONSULATE-GENERAL OF JAPAN AT JAKARTA」と「THIS JAPANESE PASSPORT IS NOT MACHINE READABLE」と印字されている部分に、日本国内で発行されるMPR旅券の場合は、パスポートの記載情報がPで始まるアルファベットと数字で2行にわたって書き込まれています。機械はそれを読み取るわけです」
    「そうですか。ところで、ジャカルタの日本総領事館でパスポートの更新手続きをする際は、出生証明書のような書類を提出する必要があるのでしょうか?」
    「日本では出生証明書ではなく戸籍謄本を使います。パスポートの有効期間の残りが1年を切ると、新しいものに切り替える申請ができます。その場合、原則として戸籍謄本は必要ありません」
    「ということは、最初にパスポートを申請する場合にのみ戸籍謄本が必要になるわけですね。この方の場合、すでに何度も切り替えをしているはずですが、最初の申請のときに提出された戸籍謄本は保存されているでしょうか」
    「廃棄されている可能性が高いでしょうね。しかし、この方の本籍地は記録に残されており、そこからこの方の戸籍が登録されている役所で家族関係を調べることができます」
    「調べていただけるでしょうか」
    「そうですね。1998年5月の殺人事件の確認のために、被害者の夫だった人物の戸籍謄本を見たい、という正式な調査依頼書を出していただければ、スラバヤ総領事館経由で本省に連絡します」

     12月11日ライ警視はワヤン・ブラタ刑事とイ・バグス・マデ刑事をよんで二重国籍者である瀬田誠がウルグアイパスポートで1998年5月14日をはさんで、ングラ・ライ空港から入出国している可能性があることを話して聞かせた。
    「警視、あてのある見込みなんでしょうね」
    ワヤン・ブラタ刑事が仏頂面で言った。
    「いま急ぎの事件をかかえているとは聞いていなのだが……」
    ライ警視の方も嫌みっぽく言った。
    「そういう意味じゃないんですよ。ここはインドネシアです。2年以上も前の出入国カードが残っていると思いますか。残っていたとしても、能率よく探せるように分類してあると思いますか。わたしは警視ほどには長く生きていませんが、それでも、その答えがノーであることぐらい察しがつきます」
    「出入国管理事務所のお役人が言いそうな答えだな。本当に無いのではなくて、探すのが面倒だから無いと言うことだってあるんだよ。ここはインドネシアなんだから」
    「どんな入出国のカードを探すんですか」
    「国籍はウルグアイ。生年月日は1961年4月22日。入出国のときの年齢は37歳だ。わかっているのはそれだけだ」
    「警視。ウルグアイの綴りは?」
    「URUGUAYだ。まったくどこで勉強してきたんだ」
    「デンパサール・アクポル(警察学校)です」
    「そこで、勇ましく歌ったろう。『高い山、深い谷――警察はそれらを越えて前進する』。さあ、ングラ・ライ出入国管理事務所へ行ってこい」
    「はいはい、わかりましたよ。1日か2日ほどつぶして警視の推理におつきあいしましょ」
    マデ刑事がニヤニヤしながらブラタ刑事の肩をポンとたたいた。
    2人の刑事がその日の午後、ングラ・ライ入国管理事務所で来意を告げると、係官がいとも簡単に、
    「1998年5月のカードなら保存してありますよ」
    2人に刑事は何かに裏切られたような、拍子抜けしたような表情を係官に見せてしまったらしい。
    「こっちも警察同様、働いてますからね」
    「どこのお役所でも、数年前の資料についてたずねると、あるかどうか調べるから2、3日待ってくれ、というよ」
    「あのころ、つまり1998年5月のスハルト退陣騒動のあとすぐ、法務省のトップから4、5、6月分の出入国の記録を別途指示のあるまで慎重に保管せよとの指示があった。スハルト退陣前後にCIAやMI6をはじめ、タイ、マレーシア、シンガポール、中国などの情報機関員が、足繁くインドネシアに出入りしていたそうだ。外交官のパスポートだけでなくて、民間人のパスポートも使ってね。やつらが出入りするとなれば、ジャカルタのスカルノ・ハッタ空港だろうが、国内のすべての管理事務所を対象に保管令をだしたわけだ。さて、入国か、出国か、どちらのカードから始めますかね?」
    「数はどっちが少ない?」
    「それは圧倒的に入国でしょう。あのときは火の消えたような寂しさで。パスポート・コントロールのブースでは、出国担当官は大汗をかき、入国の方はぼんやり鼻クソをほじくっていた」
    「入国から行こう」
    「いつからいつまで?」
    「5月11日から14日までだ」
    しばらく待っていると、係官が文書保管庫から手押し車にのせて段ボールの箱を4つ運んで来た。
    「この部屋で作業していいですよ」
    古いパイプ椅子や折りたたみ式の長机、バケツやモップまでが放りこまれている雑然とした部屋だが、とりあえず机と椅子があり、天井には蛍光灯がともっていた。私はここであんた方の作業を見守らせてもらう。カードがなくなると私がとがめだてされるんでね」
    「なんだ、手伝ってくれるつもりはないのか」
    「上司からは手伝えと指示されていない。悪く思わんでくれ」
    そう言ってングラ・ライ出入国管理事務所の職員は椅子を持ってきて腰を下ろし、のんびりとクレテック煙草を吸い始めた。クローブが焦げる甘ったるくて、それでいて鼻にツンとくるにおいが漂い始めた。
    夕方までかかって、丁寧にカードをチェックしたが、生年月日1961年4月22日のウルグアイのパスポートを持った男性の入国者カードはみあたらなかった。
     入官の係官が何となくモジモジしているので、
    「きょうはここまで。あすまた出国カードをチェックしよう」
    ブラタ刑事が気前よく作業中断を提案した。

     

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