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2019.01.01 Tuesday

「だまし絵のオダリスク」     第1回

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     1941年3月5日水曜日午前7時。よく晴れたイスタンブールの朝だった。アジア側とヨーロッパ側を結ぶフェリー、ボスポラス海峡を上り下りする渡し船や貨物船が忙しく動き始めていた。汽笛の透明な響きが街の空気を貫いた。
     海峡を見おろすヨーロッパ側新市街のベイオールの斜面に、瀟洒な白い3階建てのフラットが建っていた。フラット3階の部屋の50平方メートルほどのリビングルームのカーテンがほんの少しひらいていた。その隙間から眩しい朝日がトルコ絨毯を敷いたフロアに斜めにさし込んでいた。室内の照明はついたままだった。
     フロア中央にソファーがあり、窓際にロッキングチェアーが、部屋の隅にライティング・デスクと椅子があった。壁の棚には小ぶりな磁器の壷が置かれていた。白地に藍色の魚の文様が浮き出た渋い壷だ。壷の近くの壁にアングルの有名な『グランド・オダリスク』の複製が掛けられていた。染付けとアングルの官能的な絵の複製の組み合わせは、どこかキッチュな感じを見る人にあたえた。額縁の中のオダリスクはデフォルメされた異様に長い裸の上半身をくねらせて華奢な背中と大きなお尻を誇示していた。振り向いた顔の思わせぶりな眼が室内の一点を見ていた。
     オダリスクの視線の先の床の上に人間が2人、並んでころがっていた。1人は東欧系の顔立ちをした茶色の髪の女性。あざやかなピンクの柄のイブニングドレスを着ていた。いま1人は三つ揃いのスーツを着た東洋系の男性で、中国人か朝鮮人か、あるいは日本人のようにみえた。2人は顔を天井に向けて仰向けに倒れていた。男の服の胸に大きな赤い染みができていた。服が吸い取りきれなかった血が床に流れ、トルコ絨毯に新しい模様をつけくわえていた。女の首には水色の紐がまきついていた。2人はカッと目を見開いていた。だが、4つ眼球は固定したまま動かず、もはや彼らには何も見えていなかった。

     

      ***(Mandala撮影の現代のイスタンブール風景と、著作権が消滅した古いアーカイヴ写真を適宜添えます)

     

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