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2019.01.02 Wednesday

「だまし絵のオダリスク」    第2回

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     槙村忠中佐はリフトを降りた。
     槙村をイスタンブール保安本部のイケメン・メフメト外事課長のオフィスに案内したのは、上背が2メートルに届くかと思われる若い男だった。淡い茶色の髪、緑がかった灰色の瞳だった。アジア人らしい人種的な特徴はみあたらず、完全にヨーロッパ型の容貌だった。とはいえ、ベルリンの街で見かけるドイツ人たちとはまた雰囲気が違った。彼らのような北欧人の冷たい硬質感はなかった。その開放感と柔らかさはまさしく南ヨーロッパ人のものだった。
     案内の男がドアをノックした。室内から応じる声が聞こえた。男がドアを開けた。西側に開いた大きな窓を背にして2人の男が立っていた。2人とも1メートル80センチほどの背丈で、筋肉質の身体をスーツでつつんでいた。1人は、黒い長髪で葉巻のような太いヒゲを鼻の下に蓄え、濃紺の上下に真紅のネクタイという、いたってにぎやかないでたちだった。そのうえ太い黒縁の眼鏡をかけていた。いま1人は色白で、濃い茶色の髪の毛を短く刈りこんでいた。髪と同系色の背広上下に、こげ茶のストライプのネクタイを合わせていた。こちらの方はなかなかのしゃれ者だ。
     1941年3月11日火曜日午後6時をすこしまわったところだった。
    「駐ベルリン日本大使館付海軍武官補佐官の槙村忠中佐です」
    槙村が2人の男にドイツ語で言った。槙村はベルリンの日本大使館で大使の大島浩に次ぐドイツ語使いといわれていた。
    「イケメン・メフメトです。こちらはイスタンブール警察本部のオメル・アシク警部。事件の捜査を指揮しています。旅はいかがでしたか?」
    ヒゲを蓄えている黒縁眼鏡の男が一歩前に進み出て、槙村と握手を交わしながらドイツ語で応じた。イケメン・メフメトはミュンヘン大学で法律を学んでいるので、ドイツ語で話しあえると、あらかじめ日本大使館の館員から槙村は聞かされていた。
     イケメンの背後の窓の向こうに夕暮れのイスタンブールが見えた。ちょうど夕陽が旧市街の七つの丘の向こうに沈んだところだった。古代ローマのセプテム・モンテス・ロマエ(ローマの7つの丘)にちなんで、東ローマ帝国の都コンスタンティノープルが建設された旧市街の起伏が同じように7つの丘とよばれていた。イケメンのオフィスはベイオールのシシュハネの古びた6階建の最上階にあった。古びてはいるが歴史的建築物にはほど遠く、トルコ政府の雑多な出先機関のオフィスを詰め込んだ、ただのコンクリートの箱にすぎない。金角湾をはさんで対岸のエミノニュのウォーターフロントに建つイェニ・ジャーミーや、その上手の丘にあるシュレイマニイェ・ジャーミーのドームとミナレットがくすんだシルエットになって見えた。少し左手のマルマラ海側にはトプカプ宮殿やアヤ・ソフィア、スルタン・アフメト・ジャーミーが夕闇に溶けこもうとしていた。長い歴史を秘めた古都の黒いスカイラインの上に、茜に染まったバルカンの空があった。
     夕焼けの風景画で有名なウィリアム・ターナーの絵を見て、自然の夕焼けはこんな色にならないと言った人がいたそうだ。するとターナーは、私は自分が美しいと感じたように夕焼けを描いたと答えたという。もしもターナーがベニスを超えてイスタンブールまで来ていたとしたら、この夕焼けをどのように描いただろうか。そう思わせる眺めだった。
    「槙村中佐、すばらしい景色でしょう。このオフィスに移って来て、もうかれこれ2年になりますが、今日のような夕暮れは見飽きることがありません。イスタンブールはベルリンのような躍動する現代最先端の文物にはこと欠きますが、古い都に特有の、郷愁を誘う風景だけは恵まれています。私たちが持ち合わせているものは、もはやというべきか、あるいは、いまのところというべきか、その程度のことなのですが……。歴史の暮れ方にたたずむ者は愛惜の念でこの夕焼けをながめるのですよ」
    イケメンが執務机の前の椅子を槙村に勧めた。
    「いや、これは失礼しました。イスタンブールの夕暮れのあまりの美しさにすっかり気をとられてしまいました。死んだ甥の田川一郎がまだ子どもだったころ、彼を連れて出かけた東京の港の夕焼けをふと思い出したものですから。田川の両親は外交官でしたが、赴任先のワシントンで交通事故にあい2人同時に死んでしまいました。田川がまだ4歳になる前のことでした。田川の母親はわたしの姉でした。田川にとっては祖父母にあたるわたしの両親が彼を引き取って育てました。それに田川はこの1月ベルリンにわたしを訪ねてきてくれましてね。そのときの元気な顔をつい思い出したりして、ちょっと感傷的な気分になっていました」
    「そうでしたか。お気持、お察しいたします。事件から1週間になります。いまのところ捜査は大きな進展をみせているとはいいがたい状況ですが、捜査には波がありまして、勢いがつけばいっきに解決にいたる例も多いのです。いまは遺漏のないようきっちりした基礎的な捜査を根気よく続けているところです。ところで、日本大使あてにお送りした事件の概略についてはお読みいただきましたか?」
     その報告書の概略はアンカラの日本大使館からベルリンの日本大使館経由で槙村のもとに送られてきていた。槙村はベルリンを出発する前にそれを読んだ。
     田川の死について連絡を受けたとき、槙村はイタリア出張中だった。ローマからいったんベルリンに戻り、ベルリンからイスタンブールに飛ぶドイツ政府の連絡機に便乗させてもらって3月10日にイスタンブールに着いた。その日の夜のうちに槙村は、アンカラの日本大使館がイスタンブールでの出先として使っている旧日本大使館庁舎でイケメンの報告書の全文に目を通していた。
     報告書は保安本部の公用紙3枚にトルコ語で書かれ、イスタンブール保安本部外事課長イケメン・メフメトの署名があった。槙村が読んだのはアンカラの日本大使館翻訳官の手になる日本語訳だった。

    ――1941年3月5日水曜日午後2時ごろ、ベイオールのボスポラス海峡をのぞむ斜面に建つフラット3階の一室で田川一郎の死体が見つかった。死体は絨毯を敷いたリビングルームの床に仰向けになって倒れていた。至近距離から発射された拳銃の弾丸が田川の心臓を撃ち抜いていた。検視報告によると即死。田川はグレーの三つ揃いの背広を着て黒い靴をはいていた。上着のポケットの名刺入れから、死体がアンカラの日本大使館三等書記官田川一郎であることはすぐわかった。いまひとつの死体が田川と並んで仰向けに横たわっていた。この部屋に住んでいる女性で、チチェキという名のトルコ国籍のダンサーだった。チチェキはピンクのイブニングドレスを着ていた。チチェキの首には水色の絹の編み紐がまきついていた。絞殺だった。リビングルームには荒らされた形跡がまったくなかった。リビングルームは寝室に続いていた。ベッドには田川の黒いオーバーコートと、チチェキの白いコートが無造作に置かれていた。ベッドが使用された形跡はなかった。寝室にも荒らされたあとはなかった。遺体はともに死後半日ほど経過していた。2人とも3月5日未明に死亡したと推定された。

    「それで捜査当局の見方はどうなのですか」
    「そのことについてはオメル・アシク警部に説明してもらいましょう」
    イケメンがオメルをうながした。オメルはトルコ語で語り、イケメンがドイツ語に翻訳した。
    「不可解なのは射殺死体と絞殺死体の組み合わせです。この謎をどう解くべきか。そこがまず悩ましいところです。チチェキの絞殺ですが、拳銃があるにもかかわらずそれを使わないで、わざわざヒモで絞殺したというのは尋常な行為ではありません。殺人という目的の達成よりも、殺人の過程を楽しむ倒錯的行為です。そのうえ、絞殺にはわざわざ絹のヒモを使っています」
    「絹のヒモ? それはどういうことですか」
    槙村が怪訝な表情で尋ねた。

     通訳しているイケメンの顔に苦笑のような、とまどいの表情が浮かんだ。
    「絹のヒモを使っての絞殺はオスマン帝国の歴史でしばしば繰り返されたことです。オスマン朝は安定したスルタンの独裁体制を維持するために継続的な親族殺人の制度を導入しました。スルタンは男子継承制で、15世紀から17世紀にかけて、スルタンが世を去り後継者が決まると、その後継者が自分の兄弟と兄弟たちの男の子どもを殺してしまうのがならいでした。権力継承をめぐる内紛の芽をあらかじめ徹底的に摘み取っておくのがその目的でした。もちろんイスラム教は殺人を罪悪としています。しかし、新しいスルタンによるこの兄弟殺しは、政治動乱を予防し、社会の安定を図ることを目的におこなわれるものであるから、支配者にだけは例外的に許される行為である、とウラマーも認めていたそうです。スルタン・メフメット3世は即位ののち、19人の兄弟を、彼らの子を身ごもっている15人の女奴隷ともども皆殺しにしました。1595年のことだとされています。スルタンの身内を殺すにあたっては、高貴な血を流すことがはばかられたので、絹製の紐で首を絞めるか、浴槽で無理やり溺れさせるかして殺したといわれています」
    イケメンが説明した。
    「ずいぶんと猟奇的なお話ですね。そうした精神の歪んだ犯罪者の仕業だと予想されているわけですか」
    槙村が尋ねた。
    「オスマン朝の兄弟殺しの制度を猟奇的とただ一言で済ませてしまうことはできません。血筋によって権力を継承する側の責任と倫理という面で、それはなかなか重い問題を提起しているのです……」

     

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