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2019.01.20 Sunday

「だまし絵のオダリスク」   第5回

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     内臓をひっくり返して口から飛び出させてしまうような爆発音がペラ・パレス・ホテルにとどろいた。槙村は視野の隅に青白い光を見た。と同時に、体が椅子から吹き飛ばされるほどの風圧と音圧を感じた。調度品が床にたたきつけられる音、窓ガラスが割れて飛び散るけたたましい音がロビーから聞こえた。槙村はイスタンブール庁舎に来ていた日本大使館の副領事別所剛三とともに、約束の時刻に10分ほど遅れてオリエント・バーに現れたイケメン・メフメト課長とオメル・アシク警部との4人で食前酒を飲んだ。午後9時すぎメイン・ダイニングルームに席を移し、それぞれが料理を注文し、その料理が運ばれてくるのを待っていたところだった。
    メイン・ダイニングルームの客も恐慌をきたした。近くのテーブルの客たちの悲鳴が高い天井に響いた。テーブルの上から、皿、ナイフ、フォーク、グラスが床に落ちた。
     オメル警部がテーブルの上にころがったワイングラスが床に落ちないようすばやく手でつかんだ。槙村ら4人も椅子から立ち上がった。
    「ちょっと、失礼します」
    イケメンとオメルがロビーに向かって走った。
    「ボイラーでも爆発したのでしょうか?」
    別所が言った。
    「いや、爆発物だね。行ってみよう」
    槙村が緊張した表情で言った。砲撃演習のとき嗅ぐのと同じようなにおいが漂ってきた。
    「いってみましょう」
    別所が応じた。
     ロビーのフロント隣にある荷物保管室の壁が吹き飛ばされていた。壁板が燃え、火が広がろうとしていた。宿泊客のスーツケース数十個があたりに散乱し、ロビーの古風なソファーやテーブルもひっくり返り、窓ガラスが割れ、カーテンがちぎれていた。
    「ドイツの攻撃だ!」
    床の上に両膝をついてしゃがみこんでいる男が槙村を見て叫んだ。両腕で気を失っている女性を抱きかかえていた。槙村を見上げた男の顔は、ガラスの破片でもあたったのか血まみれだった。
     飛び散った家具類の中に、宿泊客が倒れていた。爆発で両足と片手をもぎ取られた女性が玄関の方へ運ばれていった。
    救急車と消防車が到着した。死傷者が運び出され、消火作業が始まった。次々に到着した警察車両から制服の警官が出て、ホテルの周囲をかためた。
     1時間ほどたって次の爆発のおそれはないと確認された。爆発当時ロビーにいて、ホテルの庭などで足止めを命じられていた客が、大広間やダイニングルームによびもどされた。警察が聞き取りを始めた。
     集まってきた新聞記者たちの求めに応じて警察がロビーの一角で状況説明を始めた。
      別所は日本大使館員で日本人の安否を確認する必要があると警備の警官に告げて、槙村ともども新聞記者の中にもぐりこんだ。状況説明は警察本部次長と捜査部長が行った。イケメンとオメルがその近くに立っていた。警察本部次長が事件の輪郭を説明していた。
    荷物保管室にはソフィアを脱出してこの夜イスタンブールに到着した駐ブルガリア英国大使館員たちのスーツケースが運びこまれていた。ナチスの支配下に入ったブルガリアはイギリスと断交に踏み切ったばかりだった。駐ブルガリア大使ジョージ・レンドゥル以下約50人の館員が、ブルガリア国王ボリス3世から提供された車両を使って3月11日朝ソフィアを出発、ヨーロッパの大戦が始まった1939年以降定期運行が中断されているオリエント急行と同じ線路を走って、同日午後9時、イスタンブールのシルケジ駅に着いたところだった。9時半ごろには全員がホテルに入り、間もなく爆発が起きた。
    「確認できた死者は今のところ2人。重軽傷者が30人ほどだ。負傷者のうちイギリス大使館の関係者は10人ほどである。レンドゥル大使は1階の自室にいて無事だった」
    警察本部次長が説明した。
    「この階に客室があるのか?」
    アメリカ人の記者が質問した。
    「この階はグラウンド・レべルだ。1階はこの階上だ」
    「イギリスの大使と外交官を狙ったテロだということですね。犯人の目星はついているのですか?」
    イギリスの記者が質問した。
    「犯人および動機については、現段階で断定的に言えるものはなにもない。ホテルあるいはトルコ政府に対するサボタージュなのか。あるいはイギリスの外交官に対するテロ行為によって、トルコとイギリスの友好な外交関係にヒビを入れようとする陰謀なのか。注意深く捜査する必要がある」
    警察本部次長が答えた。
    「トルコにはいろんな国から破壊工作員が潜入しているといわれている。くわえて、反政府活動を繰り広げている国内グループもある。たとえば、トルコ国内のアルメニア人組織が破壊工作をしたという可能性は考えられるのだろうか。ナチスあるいは他の外国勢力と共謀して」
    地元トルコの記者が興奮した口調で言った。
    「可能性としては排除できないが、これまでにわかったところでは、アルメニア人組織が加担しているという可能性は低い。爆弾は時限装置付きで、スーツケースの中に仕掛けられていた疑いが濃厚だ。そのスーツケースはイギリス大使館員の荷物にまぎれこんで、ソフィアで列車に積み込まれ、国境を越えてイスタンブールに運びこまれた。イギリス大使館の一行はゲシュタポやブルガリア警察が監視する中で列車に乗り込んだ。そのときスーツケースなどの手荷物も車両に運びこんだが、列車が動き出した後、持ち主が確認できないスーツケースが複数個あったことをイギリス大使館員から聴取している」
    捜査部長が言った。
    「現在、ホテル内で客や従業員から情報の聞き取りを行っているところだ。中立国トルコとそれを取り巻くイギリス、ドイツ、ソ連との微妙な関係については記者諸君がよくご存知のとおりだ。事件の解明は急がれるが、同時に捜査は慎重を期さねばならない。いまのところは以上だ。新しい情報が入り次第、お話しする」
    警察本部次長が会見をしめくくった。
     槙村と別所も警察官から質問された。イケメン・メフメト課長とオメル・アシク警部とダイニングルームで食事中だったことを話した。
    「私はこれから事務所にもどってこの爆発の件を東京に報告します。槙村さんは今夜どうなさいますか」
    「私の部屋は3階だからおそらく被害はなかったでしょう。しばらくここで様子を眺めていて、それから寝ることにします。不便なことがあるかもしれないが」
    「では、明日また」
     別所はホテルの外に出た。消防や警察の車両が緊急灯を点滅させていた。ホテル前の路上にはなおあわただしい雰囲気が残っていた。見上げるとホテル建物は黒々としたどこか不吉な闇につつまれていた。
     別所がペラ・パレス・ホテルを出るのと入れ違いに、イケメン・メフメトが槙村のところへやってきた。
    「大変な夜になってしまいました。ベルリンに発たれる前にお電話くだされば、都合をつけてお目にかかれると思います」
    「明日アンカラの日本大使館へ向かいます。アンカラからイスタンブールに帰ってきたとき、もしお時間の都合をつけていただけるのであれば、お目にかかりたいと存じます。今日はありがとうございました。ごくろうさまです」
    槙村がイケメン・メフメト課長にねぎらいの言葉をかけた。

     

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