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2019.03.24 Sunday

『だまし絵のオダリスク』    第11回

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      イケメン・メフメト保安課長はオフィスで、渋い表情をつくって槙村を待ち受けていた。
    「槙村中佐。申し上げておきますが、イスタンブールではあなたに捜査権はありません。どう説明されようと、あなたが今朝おやりなった行為は尾行というもので、れっきとした捜査活動の一つです。さらに、あなたがピーター・ケーブルを尾行したことで、われわれの尾行に支障が生じた。あなたはイスタンブール保安本部の業務の妨害もなさっている。これ以後、ピーター・ケーブルをつけまわさないでいただきたい」
     イケメンは穏やかな声で言ったが、彼の目は槙村を見据えていた。槙村がイケメンに反論しようとした。イケメンはそれを制して、再び口を開いた。
    「あなたはイスタンブールで、ある外国人の行動に関心を持ったすえ、その人物の後をつけた。つけられたほうの人物から迷惑行為であると苦情の申し出がないかぎり、当局がしゃしゃり出るような一件ではない。だが、その男がピーター・ケーブルとなるとそうはいかなかったのです。3月のペラ・パラス・ホテルの爆発事件。あの件についてピーター・ケーブルが何らかの情報を持っているとにらんで、われわれは彼の行動を監視していた」
    「それは申し訳ないことをした。あなた方の仕事を妨害するつもりはまったくなかったのですが」
    槙村は素直に謝った。その言葉にイケメンはからかうような調子で応じた。
    「ところで、尾行は面白かったですか。ピーター・ケーブルを尾行しているとき、なにか変わった気配をあたりに感じませんでしたか?」
    「それはどういうことでしょうか」
     槙村はイケメン・メフメトの口調に底意地のわるさを感じて聞き返した。
    「わたしの部下はピーター・ケーブルがあなたの尾行に気づくのではないかと、ハラハラしながら尾行していた。やがて状況がどうも奇妙なことに気がついた。ケーブルをつけている槙村中佐をさらに尾行している者がいたのだ」
    「私が尾行されていたって」
    「そうです。あなたは尾行されていた。尾行されるような、なにか心当たりは?」
    「そんなものはない。なぜその者たちがピーター・ケーブルでなく、私を尾行していたと判断できるのですか」
    「われわれはピーター・ケーブルの尾行を重ねてきた。これまではわれわれ以外に彼を尾行する者はいなかった。今日はじめてわれわれ以外に、あなたがピーター・ケーブルを尾行した。尾行するあなたの後ろをつける別の人物がいた。彼らの注意はピーター・ケーブルでなく槙村中佐、あなたの方に向けられていた」
    「そうか。ピーター・ケーブルのあとをつけていたわたしに尾行者がつき、それをあなたの部下が尾行していた。ピーター・ケーブルはまるで金魚のウンコのように尾行者をひきつれて土曜日のイスタンブールを散歩していたのか」
    「そういうことだ。あなたを尾行していたのは2人組みの男だった。それに私の部下3人がピーター・ケーブルをつけていた。あなたを合わせて6人もの男が団子状になってピーター・ケーブルを尾行していたわけだ。あなたをつけていた2人組みの男は、イェニ・ジャーミーあたりでわれわれの存在に気づいて姿を消した」
    「そいつらは何者だったのだ。見当がついているのですか」
    「それについては、いま調査中だ。私の部下によると、あなたを尾行した2人組みの男には、単に尾行するだけでなく、機会があればあなたに危害を加えかねない危険な雰囲気があったそうだ。この道のベテランの意見だから、槙村中佐、暗がりや人気のない場所では今後周囲に十分注意されたほうがいい。この1年ほどの間に田川さんをふくめて5人の外国人がイスタンブールで不審な死に方をしている。いずれも未解決のままだ」
    「それはどうも。ご注意ありがとう」
    「ところで、槙村中佐。あなたはベルリンを発つ前に、すでにピーター・ケーブルについて何らかの情報を仕入れていて、それでピーター・ケーブルを尾行していたのではありませんか。でないと、イスタンブール到着3日目に、自らピーター・ケーブルの尾行を始めるという早業の説明がつかなくなる」
    「さすがに慧眼ですな」
     槙村はイケメン・メフメトに敬意を表して驚いた表情をつくってみせた。
    「ベルリンを発つ前、アプヴェールの知人から内々でイスタンブールに陣取っている主要国の情報機関のあらましについて説明してもらった。そのなかにピーター・ケーブルの名前が出てきた」
     槙村はここで一歩踏み込んで見る気になった。
    「そのアプヴェールの知人が、イスタンブールはスパイ・ゲームの中心だ、と教えてくれた。前の大戦でドイツに加担して失敗したトルコは、今度の大戦では中立の姿勢を貫こうとしている。だが幸か不幸か、戦略的においしい位置にある中立トルコは垂涎の的だ。ドイツ、イギリス、ソ連のスパイがごちそうにたかるハエのように飛んでくる。そこでトルコの国家安全保障局エムニエトは、外交官や情報機関で働いている疑いのある外国人、ジャーナリストやビジネス旅行者、貿易業者、運輸関係者を徹底した監視下においている。外国人の場合は、トルコの国内旅行をするにも許可証が必要になる。許可証のことをテズケレとかいいましたね。さらに、外国人は国内旅行の先々でも監視下におかれている。エムニエトは、ホテルや外国人が働いたり住んだりしている建物で働くトルコ人をインフォーマントにしたてている。田川といっしょに死体で見つかったチチェキが、実はピーター・ケーブルの動静を探るためにエムニエトが送り込んだ女スパイだったとしても、私は驚きませんね。イスタンブールに再来したマタハリです」
    槙村の言葉にイケメン・メフメトは怒るどころか、ヒゲがへの字に曲がるほどの大口を開けて笑い出した。
    「槙村中佐、あなたは才能がおありだ。小説を書かれるといい」
     槙村はイケメン・メフメトの大げさな反応を無視して、話を続けた。
    「エムニエトは場合によっては、外国公館の書記官や武官、情報機関員とみられる外国人から、丁重ではあるが遠慮なく直接事情聴取もする。今、私に対しておやりになっているようにね。その一方で、エムニエトの内部は、ドイツ派、イギリス派に分裂しており、エムニエトが得た情報が外部にもれている」
    「なるほど。それで、そのアプヴェールの知人はエムニエトのだれがドイツ派で、誰と誰がイギリス派だと教えてくれましたか。わたしの処世の参考までに拝聴したいものです」
    「私が聞いたところでは、現在の長官はドイツに対して友好的で、副長官はイギリスに同調的ということでした。本当にそうなんでしょうかね。それはさておき、ピーター・ケーブルの話にもどりますが、あなた方のお考えでは、彼はどこの国のスパイなのですか」
    「みんながそれを知りたがっている。イギリスは彼のことをイギリスに忠誠を誓った二重スパイだと信じている。ドイツはピーター・ケーブルが自分たちの二重スパイだと思っている。ソ連は彼がイギリスの二重スパイであれ、ドイツお抱えのスパイであれ、それはいっこうかまわない。重要なことはピーター・ケーブルがソ連社会主義のシンパであることだと考えている。われわれトルコ側にとっては、彼は正体不明の危険人物なのです。ピーター・ケーブルを尾行しているのも彼の接触相手を見つけることが、その目的の一つです。槙村中佐、そちらのほうで何か情報をつかんだ際は、われわれにもご協力ください」
    「お役に立てるような情報があれば、喜んで提供しましょう。ですが、ご期待に添えるかどうか、あやしいものです」
    槙村が言った。
    「ところで、槙村中佐。こういってはなんだが、今日のあなたの尾行はどうも不用意にすぎましたな。ピーター・ケーブルを尾行していた私の部下が、あなたの尾行ぶりは尾行していることに気づいてくれといわんばかりのやり方だったといっている。どうも不自然ですな」
    イケメンが別れ際に槙村に言った。

     

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