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2019.04.19 Friday

『だまし絵のオダリスク』    第13回

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    「槙村さん」
    ピーター・ケーブルが改まった口調で言った。
    「けさブルー・モスクにいらっしゃいましたね」
     彼は尾行に気づいていたのだ。槙村は認めるしかなかった。
    「ええ、一度中を見たいと思っていましたので」
    「私もイスタンブールに来た知人を案内して来ました。確かに一見の価値があるモスクです。オスマン・トルコ時代にモスクに転用されたアヤ・ソフィアが1930年代に非宗教の博物館になったので、スルタン・アフメト・ジャーミーとシュレイマニイェ・ジャーミーがイスタンブールを代表する2大モスクになっています。スルタン・アフメト・ジャーミーがブルー・モスクとよばれるのは、モスク内部が壁面にはられたタイルの青い色でみたされているからです。スルタン・アフメト・ジャーミーは1609年、アフメト1世が19歳の時に建設を始めた。スルタンはこのモスクに相当いれこんでいたようで、時には現場に立って建設作業を激励・督促したと伝えられています。モスクは1616六年に完成したが、アフメト1世はその翌年の1617年に27歳で若死にしました。ブルー・モスクがおもしろいのは、ミナレットが6本も建てられていることです。スルタンがミナレットを『アルトゥン(金色)にせよ』と言ったのを、建築家が『アルトゥ(6)』と聞き間違ったからだといわれていますが、この手の話の真偽のほどは例によって定かではありません。いやいや、これはどうも。イスタンブールに来る客をしょっちゅう案内するので、すっかり能書きを覚えてしまいました」
    「モスクを建てるだけために生まれてきたようなスルタンだったわけですね。おもしろい話をありがとうございます」
    「歴史がおもしろくなるのはアフメト1世の死後です。アフメト1世の妃キョセムはギリシャ系の奴隷で、アフメト1世の死去後、彼女が生んだ子のオスマン2世、ムラト3世、イブラヒムや、孫のメフメト4世が次々とスルタンになったので、ヴァリデ・スルタン(スルタンの母)として長期間権勢をふるいました。だが、ついにはハレム内の勢力争いで孫のメフメト四世の母后、つまりは息子の嫁であるトゥルハン・ハティゼに殺された。トゥルハン・ハティゼの命を受けたハレムの宦官長が、カーテンの絹の紐でキョセムの首を絞めたそうです」
    「チチェキ嬢も絹の紐で絞殺されていた」
    槙村のこの言葉にピーター・ケーブルの表情がちょっとゆがんだ。だが、彼は再び話題をブルー・モスクにもどした。
    「オスマン2世は叔父にあたるムスタファ1世にスルタンの座を奪われたのち殺された。スルタンを直接手にかけたのは、スルタンの親衛隊イェニチェリでした。イェニチェリはもともとスルタン直属の精鋭部隊で、槙村さんのお国の日本でいえばトクガワ・ショーグンのハタモトのような存在でしたが、オスマン2世のころには堕落の果てに、戦力としてはもはや頼りにできなくなっていた。軍改革を進めようとしていたオスマン2世がイェニチェリを潰すのではないかと恐れたイェニチェリの将軍たちが、スルタンを捕らえて塔に押し込めたすえ絞殺したといわれている。いや、スルタンは睾丸を潰されて殺されたのだ、という説も流布しています。奇妙な殺し方だが、それもスルタンを殺すためのオスマン・トルコの伝統的なやりかたのひとつだったのだそうです。アフメト1世の弟ムスタファ1世が跡をついだが、ほどなく甥のムラト4世によってスルタンの座を奪われた。ムラト4世が死ぬと、残された弟のイブラヒムがスルタンになった。彼は凶暴なだけの無能な君主で、ハレムの女性の不義を疑って妾姫数百人をボスポラス海峡に沈めて殺したと伝えられています。弟の異常な性格を危ぶんでいたムラト4世は死の床で、おれが死んだらイブラヒムを殺せと言い残したそうです。その通りイブラヒムの治世はおおいに乱れ、彼は退位後に監禁され、絞殺されました」
    「スルタンというのはろくな死に方ができない、幸い薄い仕事だったようですね」
    「かれらには死ぬ理由があった。現代では人はこれといった理由なしで殺されている。ゲルニカのように。ところで、チチェキがなぜ田川さんと一緒に死体で見つかったか、その理由はわたしにも謎なのです。田川さんが何らかの理由があって、チチェキをイスタンブールの謀略の世界に連れ込んだのではないか、と疑う気持もあります。さて、せっかくベルリンからお見えになった日本の海軍中佐殿とお目にかかれたのですから、ちょっと職業上のお話もさせていただけませんか」
    ケーブルが静かに言った。
    「外交情報についてはあまりくわしくないほうですが」
    槙村があいまいな口調で返事した。
    「世界の関心は、日本がまずソ連に向かってアジアの北方で戦端を開くのか、それともイギリスに対抗してアジアの南方へ兵を進めるのか、あるいは南北同時に戦線を張るのか、予想を裏切って中国問題で譲歩を見せるのか。戦略的見地から一般論として考えられる選択についてレクチャーしていただける幸いです。もちろん、お聞きしたその分析はオフ・ザ・レコードで、記事の背景説明に使うときあなたの名前がそこに引用されることは絶対にないとお約束します」
    もうこのくらいでおしまいにしてくれというピーター・ケーブルの婉曲な催促だと槙村は聞いた。

     

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