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2019.09.15 Sunday

だまし絵のオダリスク       第20回

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     イスタンブール行き急行列車はアンカラ駅を定刻どおり5月23日の午後4時に発車した。金曜日だったが客は少なかった。さてこれからイスタンブールのハイダルパシャ駅までおよそ15時間の道のりだ。列車が予定通り運行されることはまず期待薄で、おそらく2時間から4時間の延着は覚悟しておいた方がよいだろう。槙村は切符を手配してくれた大使館の職員からそう聞かされていた。
    夕日がアナトリアの大地に沈んでゆくのが車窓から見えた。槙村は食堂車へ出かけた。空腹を感じたわけではなかったが、なるべく早く夕食とそのあとの腹ごなしをすませて、いつもより早めに寝るつもりだった。
     まだ時刻が早いせいか食堂車はすいていた。右カーブを曲がったのだろうか、列車がぐらりと揺れ、体が左側にひっぱられる感じがあった。食堂車に入って2つ目のテーブルに太っちょのトルコ人らしい男が1人で陣取って食事していた。50歳前後で、ダルマのように大きな威圧するような眼だったが、顔のつくりはなんとなく愛嬌があった。食堂車のウェイターが槙村をその男の隣のテーブルに案内した。槙村は椅子に腰掛け、ウェイターからメニューを受け取った。ウェイターは槙村のそばに立って注文を待った。
    「ヤキトリはありませんが、ケバブが美味しいですよ。トルコのワインとあいます。私もそれをいただいています。マキムラ中佐」
    達者な英語だった。一瞬虚をつかれた槙村に、男はウィンクして立ち上がり、
    「夕食を同席させていただく栄誉を賜りたいものですな。私の名はムス・スルタン。貿易商で、何年か前、ヨコハマに行ったことがあります。勝手ながら私のテーブルにお越しいただけるのであれば光栄です。ぜひ、どうぞ」
    と、大きな右手をさしだして握手を求めた。男の背丈は身長1メートル75センチの槙村より少し高いだけだったが、体の厚みは槙村の2倍もありそうだった。
    「おかけになって、まずはワインでも」
    ムス・スルタンが槙村に微笑みかけた。槙村はすすめられるままムス・スルタンのテーブルに移った。椅子に座るとムス・スルタンが言った。
    「失礼しました。この列車に乗るとき駅でお姿を見かけました。車掌にあの方は日本の政治家のヨシオカさんか、と聞きました。前に一度ヨコハマでお目にかかったことがある。ヨシオカさんなら挨拶しなくては。すると車掌がお人違いでございます。日本大使館海軍武官のマキムラ中佐でいらっしゃいます――そういうわけでした。失礼の段お許しください。また、口の軽い車掌についてもお許しください。あの車掌は私の長年の知りあいなものですから」
    ムス・スルタンがウェイターにワイングラスを持ってくるように言った。ムス・スルタンがマキムラのグラスにワインを注ぎ始めたとき、列車がまた揺れた。ムス・スルタンはさっと瓶の口を上に向けてワインがグラスの外にこぼれるのを避けた。この太っちょなかなかの反射神経の持ち主だ。油断ならないなと槙村は思った。
    「大使館がイスタンブールからアンカラに移ったせいで、どこの国の外交官の方々もご不便をお感じなっていらっしゃるでしょうな。アンカラは緯度からいえばナポリやマドリッドと同じあたりですが、とんでもない田舎町のうえに、夏は極端に暑く冬は極度に寒い。寒いだけではなく大雪が降る。アンカラの冬の暇つぶしといえば、オオカミ狩りくらいなものです」
    ムス・スルタンが陽気な口調で話し始めた。
    「ほう、それはなかなか勇壮な暇つぶしですね」
    槙村はお世辞のつもりで調子をあわせてやった。
    「アンカラの外交団のなかでは、ドイツ大使のフランツ・フォン・パーペン氏がこのオオカミ狩りがお好きでしてね。アンカラでは原野まで出向かなくても、オオカミのほうから街外れまでやってきてくれます。ヒトラーがヨーロッパで戦争を始めて以来、イギリスを中心とする連合国側の外交団から白眼視され遠ざけられているパーペン氏は、アンカラではオオカミ狩りで憂さを晴らすしかないのでしょう。いずれあなたにもお誘いがくるかもしれません」
    「残念ながらわたしはアンカラではなくベルリン駐在です。西ヨーロッパ勤務の経験のある日本大使館員も、オオカミ狩りこそしませんが、アンカラは退屈だとこぼしていました」
    「おや、ベルリンからお見えでしたか。パリ、ロンドンと並ぶ都会ですな。ところがアンカラときたら、オペラもコンサートもめったにない。田舎町で世間は狭いから、若い外交官の方々には情熱を発散させる機会も少ない。恋愛沙汰はすぐお仲間の噂になり、場合によってはさまざまな外交上の取引材料、世間では脅迫などという品のよろしくない言葉を使っているようですが、そのネタにされてしまう。したがって、われわれが今乗っているこの列車は外交団や政府高級官僚の利用がひんぱんでしてね。アンカラを逃げ出してイスタンブールへはめをはずしに行く」
    「ポアソン・グレックを求めて……」
    槙村が日本大使館員から聞いた話は、アンカラではどうやら手垢にまみれた世間話のひとつになっているようだ。
    「おや、ご存知でしたか」
    「ところで、アンカラにおけるパーペン大使の好敵手であるイギリス大使のヒュー・ナッチブル・ヒュゲッセン氏は雪に埋もれたアンカラの冬をどう過されているのでしょうかね」
    槙村が言った。
    「あいにく私はイギリス大使館筋に知り合いが少なくて、彼については詳しいことは知りません。まあ、イギリス人は単調な生活というか、退屈をもって人生の楽しみとするような妙な性癖があるとうかがっております。イギリス大使閣下におかれてはアンカラの生活を、イングランドの田園生活の単調さを愛でるのと同じ気持で、たっぷりと楽しまれているのではないでしょうか」
    「そうですね。アンカラで平穏な田園生活を楽しんでいらっしゃるのであれば、ご同慶の至りです。なにぶんナッチブル・ヒュゲッセン大使閣下は、前任地の中国で大使をなさっていたとき、1937年8月の暑いさかりと聞いておりますが、日本の攻撃機から機銃掃射をうけて、重傷を負われたことがありました。大使が南京から上海に自動車で移動中のことで、日本政府は誤射について遺憾の意を表しましたが……」
    槙村が注文したケバブが運ばれてきた。槙村がその肉片の一つを口に入れたとき、ムス・スルタンがさりげなく、しかし声を心もち落して槙村に語りかけた。
    「槙村中佐。私はこの3月上旬、イタリアに出かけていましてね。商用で南イタリアのターラントを訪れました。ターラント湾に面した軍港のある港町です。イギリス軍が停泊中のイタリア海軍軍艦に奇襲攻撃をかけて成功した町です」
    この男の意図はなんだろう。槙村はケバブを食べる手をとめて心の中で身構えた。
    「泊まっていたターラントのホテルのロビーで、ある朝、とある東洋の紳士をお見かけした。いま思い出してみると、どうもそのお方は槙村中佐ではなかったという気がしてならないのです」
    「なるほど。以前にお目にとまっていたのですか。それにしても私たち極東のアジア人にとっては、ヨーロッパの人々の容姿からその国籍を推測するのはなかなか難しいことなのですが、あなた方には中国人や韓国人や日本人の見分けが簡単におできになるようですね」
    槙村はとっさに言葉を濁した。だが、彼の気持は動揺していた。槙村はその動揺が表情に現れないようケバブにかじりつくことでごまかそうとした。
     たしかに槙村は用あって3月上旬にターラントを訪れていた。ターラントはイタリア南東部のターラント湾に面した都市で、古くは紀元前8世紀ごろ古代ギリシアのスパルタがここに植民地を築いていた。中世には十字軍が装備をととのえ、遠征に出発する港だった。オスマン・トルコ帝国はその拡張期に何度もターラントを攻撃した。ナポレオン戦争のときはフランスの軍港として利用された。そののち、イタリア海軍の軍港として整備された。
     イタリア海軍の主力軍港の一つであるターラントは1940年11月11日から12日にかけてイギリス空母の艦載機による奇襲攻撃を受けた。イタリア海軍の戦艦3隻が大破・損傷するなどの痛手を受けた。日本の海軍はターラントにおける航空機による艦船攻撃という奇手に大きな関心を寄せた。日本はドイツとイタリアに協力を求めて、イギリスによるターラント奇襲のデータを集めていた。
    「去年のイギリスの奇襲以来、ターラントにはいろいろな国の軍人が視察にやって来ているようですな。海での戦争が艦隊と艦隊の一騎打ちという伝統から離れ、空からの艦隊攻撃の有効性に目を向けさせる格好のデータのようで、いろんな国の航空機優先思想の戦術家たちがターラントに集まった。日本も世界有数の海軍国の一つですから、当然、ターラントの戦術にも興味があるだろうと思い、ターラントで見かけた東洋の紳士を、もしかしてあなたではなかったろうかと、ふとそう思っただけのことです」
    それを最後に、ムス・スルタンは話題をイスタンブールの建築物の美へと切り替えた。
    「ところで槙村中佐、ハギア・ソフィアはご覧になりましたかな。いまではトルコ人はアヤ・ソフィアと呼び、ギリシア人はアギア・ソフィアとよんでいる建物です。もともとは東ローマ帝国を開き、その都をコンスタンティノープルに定めたコンスタンティヌス大帝の子であるコンスタンティウス2世が紀元4世紀にキリスト教の聖堂として建てたものです。のちに15世紀になってコンスタンティノープルを占領したメフメト2世がこの建物をモスクに変更した。20世紀なってトルコを共和国として発足させたケマル・アタテュルクはイスラム教を毛嫌いして、この建物を無宗教の博物館に変えた。したがって女性はお隣のブルー・モスクに入るとき頭に布をかぶることを強制されますが、アヤ・ソフィアではその必要がない」
    「暇を見つけて是非拝見したいものです」
    槙村はそっけない調子の返事をした。
    「イスタンブールの古典建築物のうちで最高のものといわれていますが、これまでに何度も壊れていましてね。5世紀の初め内乱で焼け落ちた。再建されたが、6世紀になって、有名なニカの乱でまた焼けてしまった。ユスティニアス大帝が再建工事を始めたのですが、建物が巨大すぎてあちこちでねじれやゆがみ亀裂が生じた。なんだかんだと手を入れながら完成したのですが、間もなく地震によって中央のドームの半分が崩落してしまった。オスマン帝国時代にも補修工事がおこなわれて、何とか現在まで奇跡的に建っているのです。つまりは如何なる威容も立ち入ってみれば満身創痍であるという教訓話でして……」
    建築物に詳しくもなく興味もない槙村は、ムス・スルタンの饒舌を聞き流しながらケバブを食べた。
    食事を終えた槙村にムス・スルタンが名刺を渡しながら言った。
    「イスタンブールでもし何かご用がおありの節はこの電話番号にどうぞ。お役にたてることがあるかも知れません。ところで、槙村中佐のイスタンブールでのお宿はどこでしょうかな」
    「パーク・ホテルです」
    槙村は滞在しているホテルの名を告げた。ムス・スルタンがどのような意図でターラントのことを口にしたのか、場合によってはそのことを詳しく知る必要があるかもしれない。ムス・スルタンと接触点を残しておきたい気がしたからだった。
    「それは素敵なところにお泊りですね。パーク・ホテルからのボスポラス海峡の眺めはイスタンブールで屈指の景観です。これとならぶのはガラタ塔からの眺めくらいなものです」
     食事を終えた槙村は立ち上がってムス・スルタンに手をさしのべた。ムス・スルタンがその手を握った。
    「よい旅を」
    ムス・スルタンが言った。
    「商売繁盛を」
    槙村が返した。
     

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