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2019.09.28 Saturday

『だまし絵のオダリスク』     第22回

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     5月27日火曜日の日の出前、エミノニュのフェリー埠頭へ向かう早朝勤務の船員がガラタ塔の横を通りかかった。ガラタ塔は金角湾に面したベイオールの南斜面に建つ60メートルを超す石造りの塔だ。金角湾の対岸の旧市街地のトプカプ宮殿、アヤ・ソフィア、ブルー・モスク、シュレイマニイェ・ジャーミーなどと向かいあっている。ガラタ塔の起源はビザンティン時代の6世紀に建てられた木造の灯台だった。それが石造りになったのは14世紀中ごろのことだ。
     コンスタンティノープルがメフメト2世に率いられたオスマン・トルコ軍に征服された15世紀以降、ガラタ塔は軍事用の監視塔や天体観測塔として使われた。港湾労働に従事する奴隷の宿舎になったこともあったといわれている。17世紀のはじめ、ハザルフェン・アフメト・チェレビという人物がこの塔の上から人工の翼をつけて飛び立ち、巧みに風をつかんでボスポラス海峡を越えて6キロも飛び、対岸のアジア側に着地したと伝えられている。この飛翔の技術を軍事的な脅威と感じたスルタンは、ハザルフェンをアルジェリアへ追放した。ハザルフェンは飛んで火にいる夏の虫だったわけだ。
     東の空が明るくなり始めていた。薄暗がりの中、ガラタ塔の石の壁に寄りかかって男が眠っているのが見えた。酔っ払いか、あのバカ風邪をひくぞ、と早朝勤務で出勤途上の船員は思った。船員の後ろを歩いてきた別の男が、ご親切にも酔っ払いの様子を見るために塔に近づいていった。そしてその男が大声で叫んだ。
    「うわ、大変だ。この男死んでいる」
     連絡を受けた警察官2人が現場にすっ飛んできた。やがて殺人課の刑事や鑑識がやってきた。男は銃で胸を撃たれていた。血が男のジャケットをぬらし、男がいた石のうえに血だまりができていた。刑事たちは死んでいる男の風貌がトルコ的でなく西欧風であり、上着のポケットから出てきたトルコ政府発行のプレスカードから、男の名がピーター・ケーブルだと知った。このことを所轄警察署に連絡すると、イスタンブール警察本部のオメル・アシク警部、イスタンブール保安本部のイケメン・メフメト課長が現場に現れた。
    「このたびはチチェキのスポンサーだったイギリス人か。またお荷物がひとつ増えたわけだ」
    イケメンがオメルにため息混じりに言った。

     槙村はスタイナウアー教授から聞かされた田川とソ連情報機関の接触についてあれこれ想像を巡らしていて、未明近くまで寝そびれてしまった。午前10時ごろレストランで遅い朝食をとっていると、給仕に電話だと声をかけられた。受話器をとると、日本語だった。深川一郎の興奮した声が槙村の耳に飛び込んできた。
    「ピーター・ケーブルが銃で撃たれて死んだ」
    「えっ」
    と言ったきり槙村はしばらく声が出なかった。
    「撃ったのはだれだ」
    落ち着きを取り戻した槙村がたずねた。
    「まだわからない。これから警察が事件の発表をする。それを聞いたあと、あちらこちらで情報を仕入れ、夕方にはパーク・ホテルへ行けるとおもう。そうですね、午後7時ごろお目にかかってこの一件についてお話ししましょう。なにか田川さんの死と関わりがあるような気がしてならないのです」
     深川は約束の時刻どおり午後7時きっかりにパーク・ホテルのロビーに現れた。そのころまでにはパーク・ホテルのバーはピーター・ケーブルが殺された理由についての推測・憶測があふれた。
    「警察はピーター・ケーブルの死を他殺と自殺の両面で捜査しています。ピーター・ケーブルの死体の状況は検死によるとこういうことです。まず死亡時刻ですが、27日の午前3時から4時の間と推定されています。ピーター・ケーブルはガラタ塔の壁面に背をあずけ、石畳の上に直接尻をおいて90度の角度で身体を折り、座り込む姿勢をとっていた。銃弾は心臓に一発。死体のそばに拳銃があった。イタリアの軍用拳銃ベレッタM1934でした。ピーター・ケーブルの着衣に火薬による焼け焦げがある、極めて近い距離から発射されたもののようです。拳銃からピーター・ケーブルの指紋が出た。また、ケーブルの右手に硝煙反応があった。ケーブルは大量のアルコール飲料を摂取していた」
    「なるほど、自殺と断定するに十分な状況ですね」
    槙村がビールを口にしながら言った。
    「そういうことです。チチェキを田川に奪われてしまい、そのうえチチェキが死んだことで、悲嘆のあまりピーター・ケーブルは自殺したのではなかろうかという、メロドラマ的な解釈もうんぬんされています。ですが、イスタンブールにたむろするジャーナリストのような、すれっからしの大人の自殺の動機としては、いまひとつ説得力に欠けます」
    「自殺の動機としては他になにかでていますか」
    「それはいまのところないようですね。いまひとつの線である他殺説の方ですが、こちらの方も状況から十分考えられるところがありましてね。ピーター・ケーブルをガラタ塔まで連れてきて石畳の上にすわらせた。彼の手に拳銃を握らせて、銃口を胸にあて、発射した。警察の検死結果によると、死亡時刻ころピーター・ケーブルは泥酔状態だったと想像されます。血中アルコール濃度も高く、胃の中からもアルコール飲料の残りが検出されています」
    「だとすれば、ピーター・ケーブルに銃を握らせて自殺に見せかけて殺す偽装は、それほど難しいことではなかったでしょうね」
    「そうなんですよ。ピーター・ケーブルは26日夜の10時ごろペラ地区のバーに姿を現して、1時間ほど酒を飲んでいたそうです。バーテンダーによると、考えことをしながらちびりちびりと飲んでいたそうです。なんと言うか、バーテンダーが声をかけても口を開くのさえ億劫といわんばかりの、屈託のきわみといった様子だったそうです。ですが、泥酔するほどには飲んでいなかった。11時ごろ、しゃんとした足取りでバーを出て行ったそうです。そのあとの、ピーター・ケーブルはどこかで泥酔にいたるほどの酒を飲んだのでしょうが、11時以降の彼の足取りはわかっていません」
    「ピーター・ケーブルには殺されるような理由があったのでしょうか」
    「そのあたりについては警察も慎重でしてね。他殺の可能性も排除していない、というばかりで、その理由については具体的な言及を避けています。あれこれ尾ひれをつけて探偵ごっこをしているのは、外国特派員の連中でしてね。今年の2月でしたか、アメリカのワシントンの三流ホテルでヴァルター・クリヴィツキーと名乗っていた亡命ソ連諜報機関員が死体で発見された事件をご記憶でしょう」
    「ええ、新聞で読みました。1937年にスターリン体制を逃れて、パリで亡命した男ですね。スターリン時代のソ連の内幕を暴露した記事をアメリカの週刊雑誌に連載し、それをまとめた本が1940年に出版された。その本の中で、1936年ごろ、当時ベルリン大使館付武官だった大島浩少将と東京が交わした暗号電報をナチスの秘密機関が傍受・記録していた綴りをクリヴィツキーの部下が手に入れたと書いてあった。本当のことかホラ話なのかわかりませんが。雑誌連載の記事は日本の週刊雑誌にも翻訳掲載されました」
    「その男ですよ。クリヴィツキーはホテルのベッドで死体となって見つかったのです。致命傷は頭にくらった銃弾一発。自ら撃った銃弾なのか、誰かによって撃ちこまれた銃弾なのか。結局、警察は自殺であると結論しましたが、誰しもがそれに納得したわけでない。祖国を裏切ったクリヴィツキーをソ連が送り込んだ暗殺者が殺害したという説も出ました」
    「クリヴィツキーとピーター・ケーブルとどんな関わりがあるのですか」
    「関わりがあるわけではありませんが、ピーター・ケーブルはジャーナリストの仕事をする一方で、イスタンブールでの諜報戦にも一役買い、政治情報の取引に深く関わっていたという疑惑をもたれています。ケーブルはイスタンブールに来る前は、マドリッドでフリーランスの記者をしながら贅沢に暮らしていたそうです。それは原稿料だけでまかなえる以上の暮らしぶりだったと噂されています。ピーター・ケーブルがマドリッドで日ごろ接触していた相手にイギリス情報部の幹部がいた。マドリッドで仕事をしたあと、彼はイスタンブールに特派員の口を見つけて移ってきた」
    「それはいつ頃のことですか」
    「1939年の初めのことです。このころにはスペイン内戦は、フランコ側の猛攻で共和国側は総崩れという状態になっていました。それ以後、2年あまりピーター・ケーブルはここイスタンブールで仕事をしています。彼の役どころをめぐっては、ドイツ側ではイギリスとソ連の二重スパイだといっています。といっても、彼の忠誠がイギリスにむけられているのか、ソ連にむけられているのか、それがはっきりしないようです。ソ連は彼をイギリスとドイツの二重スパイであると見ているようです。イギリスは彼が祖国を裏切っているのではないと疑いをかけている。ここにはジャーナリストになりすました各国の情報機関員、あるいは情報機関の下請けをしているジャーナリストなどが少なくありませんが、ピーター・ケーブルはある意味で独立自営業者としての情報のプロで、仕入れた情報に良い値をつけてくれた側に、イデオロギーに関係なく売っている男ではないかと疑っている者も少なくありません」
    「したがって、これという情報はないが、状況によっては英独ソの情報機関がそれぞれピーター・ケーブルを殺す理由をもつはずである、という推測にいたるわけですね」
    「そういうことです。それから、もうひとつ。警察情報に詳しいトルコ人の記者から聞いた話なのですが、ハーミアというドイツ系ハンガリー人の女性がチチェキと親しくしていて、田川さんとチチェキについていろいろ知っているようです。警察はこの女性からも事情聴取をしていますが、いまのところ捜査に役立つような新しい事実を聞きだすことはできなかったようです。しかし、槙村さんがお聞きになれば、田川さんの当地での暮らしぶりについて、なにか新しい事実が聞き出せるかもしれません」
    深川はそういいながらメモ用紙にハーミアの連絡先の電話番号と彼女が働いているバー名前を書き、槙村に手渡した。店の名は「ボスポラス・サライ」。チチェキの母親と会ったとき彼女が口にした名前だった。
    「なんでも、このバーはアプヴェールの息のかかった連中が経営しているそうです」


     

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