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2019.10.27 Sunday

『だまし絵のオダリスク』     第26回

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     トロツキーはイスタンブール沖の島に住んでいたのか、と槙村は思った。トロツキーがソ連を追われてからメキシコに移るまでの一時期、イスタンブールに住んだことは槙村も知っていていたが、マルマラ海の島だったとは知らなかった。しかし、かつて流刑地だった島であるからには、トロツキーを幽閉すると同時に、トロツキーの警備という面でも便利であったに違いない。
     トロツキーといい、ブルーノ・タウトといい、スタイナウアーといい、イスタンブールに逃れてきた外国人はどんな気持で暮らしたのだろうか、と槙村は彼らの私生活や感情生活に思いをはせた。
     槙村自身が海軍内部の勢力争いに巻き込まれて東京にいづらくなり、槙村の才能を惜しむ上層部の配慮でベルリンの日本大使館海軍武官補佐官として、ていよく東京から追い払われた。その苦い記憶が襲ってきた。
     槙村の妻は海軍中将の娘だったが、槙村と結婚して間もなくのころから、独身の時代からの知り合いだった陸軍将校と情事をかさねるようになった。槙村はそのことを知っていたが、知らない風をよそおって世間体を保っていた。もちろん槙村の方も妻以外の何人かの女性とねんごろになっていたのだが。
     1939年の暮れのことだった。ふとしたはずみで槙村は妻の浮気相手の陸軍将校と夜の銀座で殴り合いの大喧嘩をしてしまった。
     喧嘩両成敗で両者とも昇級停止などの処分を受けた。軍令部で切れ者として一目おかれていた槙村だったが、軍令部の上層部には槙村を生意気だと嫌っているグループがあった。彼らは槙村を軍令部からはずして連合艦隊の船上勤務に更迭しようとした。それを察知した槙村を評価しているグループの幹部が、ドイツの潜水艦戦略の研究でもして来いと、槙村をベルリン勤務に避難させた。ベルリンに赴任する前に槙村は妻からの求めで離婚した。妻は1940年の暮れに不倫の相手だった陸軍将校と再婚した。元妻の父親から槙村宛に詫び状のようなものが届いた。「私が君にほれていたほど娘は君にほれていなかったようだ。親ばかと思って許してほしい」とその手紙にあった。
     元妻の父親はいわゆる海軍の大角人事によって1930年代の中ごろ予備役にまわされた。大角人事とは海軍の反軍縮強硬派の大角岑生大将が海軍大臣をつとめていた1933年から1934年にかけておこなった海軍内の穏健派を一掃する人事である。
     海軍では1920年代初頭のワシントン会議から20年代後半のジュネーブ会議を経て1930年のロンドン会議にいたる一連の海軍軍縮会議の決定を支持する条約派と、軍縮に猛反対する艦隊派の対立が続いてきた。大角人事によって海軍の穏健派である条約派のおもだったメンバーは海軍から一掃された。条約派の若手論客だった槙村は上層部の後ろ盾を失った。
     大角海軍大臣の時代に日本は第二次ロンドン会議から脱退した。その大角は1941年2月、視察旅行先の中国で搭乗した飛行機が墜落して死んだ。
     気が付くと注文したままテーブルの上に置かれたビールがぬるくなっていた。意気消沈させる過去の記憶を槙村はその生ぬるいビールとともにのみこんだ。ボスポラス海峡に薄暮が広がっていた。対岸のアジア側の灯りや、航行する船の灯りがはっきりしてきた。

     5月31日土曜日の朝、若い女性が槙村を迎えに来た。
     トロツキーの亡命中の住宅だった別荘のあるビュユック島まで、エミノニュの港から2時間あまりの船旅だった。マルマラ海は晴天で微風、霧もなく視界が十分に確保されて、格好の航海日和だった。
     ムス・スルタンの友人の別荘は島の町のはずれにあった。二階建ての建物は高い生垣に囲まれ、庭には雑木が生い茂っていた。長年海風に吹かれたせいだろうか、建物の壁面のあちこちに汚れと傷みが目立った。
     槙村がムス・スルタンと玄関に立つと同時に、中から痩せた背の高い六〇がらみの男が現れた。
    「レオン・トロツキーの隠れ家にようこそ。アフメト・エルキンです」
    背の高い男が槙村に手を差し出した。
    「槙村忠です」
    槙村も名乗ってその手を握り返し、招待の礼を言った。
     案内された一階部分の中央に大きな広間があった。こぢんまりとした舞踏会ならできそうな広さがあった。広間のソファーに小柄な四〇代と思える男が座っていた。男は立ち上がって槙村たちの方へ歩いてきた。
    「マルコ・アサノヴィッチです」
     テーブルの上にワインの瓶とワイングラスが無造作においてあった。アフメト・エルキンがグラスにワインを注いだ。
    「どうぞ。間もなくオードブルもでてくるでしょうから」
    アフメト・エルキンが話し続けた。
    「トロツキーがこの家を借りたとき、家は無住のままで、大家も長らく手入れをおこたっていたので、壁も床も汚れ放題だったそうです。トロツキーとその家族にしても、この家は仮住まいという意識だったのでしょう、大した修理もせず住み続けました。トロツキーは二階を書斎に使い、そこで大量の論文を執筆しました。一階のこの広間を中心に、トロツキーの秘書らが事務所を構えていたそうです。ジャーナリストなど世界中から来客があったそうですが、来客の感想は、もっと住んで楽しい家にする方法があろうものを、というものだったそうです。革命家の住まいらしい乱雑さだったようです。彼らは未来を夢見るあまり、つい現在を粗略に扱ってしまうのでしょうな。革命家にとっては、現在は未来への通過点にすぎない、ということでしょうか。トロツキーがここを去った後、私が所有者からこの家を買い取りました。私もトロツキーと同じで、家を美しく飾るデリカシーが欠如しています。居心地の悪さはおゆるしください」
     

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