<< 『だまし絵のオダリスク』     第26回 | main | 『だまし絵のオダリスク』    第28回 >>
2019.11.02 Saturday

『だまし絵のオダリスク』    第27回

0

     

     二階を見に行きましょうかとアフメト・エルキンがみんなを誘った。
     二階の窓から初夏の太陽に輝く青いマルマラ海がみえた。その向こうにイスタンブールのアジア側がみえた。その距離は驚くほど近く感じられた。槙村はこのとき初めて別荘が海岸近くの小さな丘の上に建っていることを知った。
    「レオン・トロツキーがスターリンによって追放され、イスタンブールで亡命生活を始めたのは1929年のことでした。イスタンブールは西欧への通過点にすぎない。トロツキーはそう考えていたのですが、亡命生活は結局4年半ほどに長びきました。トロツキーが亡命したかった西欧の国々、ドイツ、フランス、イギリスなどがトロツキーの亡命を受け入れなかったためです。トロツキーはビザンティン時代の王侯貴族と同じようにプリンキポ島に閉じ込められたわけです。ここでは釣りをするぐらいしか暇つぶしがなかったので、トロツキーは著作に専念することができた。名著『ロシア革命史』はカフェスのたまものです」
    ムス・スルタンが説明した。
    「そうだったのですか。ところで、カフェスとは?」
    槙村が尋ねた。
    「鳥などを入れておくような、いわゆる『カゴ』の類をトルコ語でカフェスといいます。ですが、オスマン・トルコの歴史では、カフェスは独特の意味を持つ言葉です。それはスルタンの親族を軟禁する陰惨な制度のことでした。槙村中佐、スルタンの兄弟殺しの制度についてはもうお聞きになりましたか?」
    「ええ、今回のイスタンブール訪問で初めて聞きました」
    「兄弟殺しをやりすぎたせいで、やがてスルタンの後継候補の男子が減ってしまった。スルタンの血筋が消えてしまうおそれが生じたので、17世紀ごろからオスマン朝はスルタンの兄弟を殺す代わりに、トプカプの奥まったところに隔離用の宮殿を建て、そこにスルタンの兄弟たちを軟禁しておく制度に切り替えました。その隔離宮殿から出る機会は二つしかなかった。一つは運よく次ぎのスルタンになる場合。いまひとつは、死。その隔離宮殿を人々はカフェスとよんだのです。オスマン・トルコ最後のスルタンだったメフメト6世は56歳でスルタンになるまでカフェスで暮らした。権力というものはまことに人間に残酷な仕打ちをするものです」
    アフメト・エルキンが槙村に説明した。
     トルコ情勢に絡めて微妙な話が持ち出されたのは夕食後だった。四人の男たちは広間でそれぞれ安楽椅子やソファーに座って、ブランデーを飲み、葉巻を吹かしていた。
    「槙村中佐、次にお見えのときは水煙草を用意しておきましょう。とはいうものの、はて、この次があるのかどうか。トルコ共和国は欧州の戦争に中立を保つ必死の努力をしていますが、こういうご時勢ですからいつ何時トルコが戦場になるかもしれない」
    アフメト・エルキンが口を開いた。
    「私に言わせれば、風前の灯だね」
    リスボンからやってきたエルキンの友人だというマルコ・アサノヴィッチが、エルキンに呼応した。
    「いまやヨーロッパでヒトラーの攻撃をまぬがれているのはスペイン、ポルトガル、スイス、スウェーデン、それにここトルコの五ヵ国だけになってしまった。イギリスはドイツから激しい空襲をうけながらも必死に頑張っているが、フランスはすでに占領されてしまった。地中海の南側ではモロッコとアルジェリアがフランスのヴィシー政府の統治下にある。ヴィシー政府そのものがヒトラーの傀儡だ。ドイツのアフリカ軍団はこの二月にリビアに上陸してイギリス軍が占拠しているエジプトへ向かっている。トルコが何とか中立政策を遂行できているのも、黒海の北にソ連があり、イギリスがイラン、パレスティナ、シリア南部を支配下においているという地政学上のバランスがあるからだ。しぶとく耐えながら徹底抗戦を続けるイギリスをこのところヒトラーは攻めあぐんでいる。ヒトラーの気持がふと変わって、その矛先をソ連に向けないとも限らない。ヒトラーがソ連に攻めこめば、トルコの中立政策を支えている条件の一つが変わってくる」
    「しかし、ヒトラーに対英、対ソの二正面で戦争をおこなえるだけの軍事能力があるかどうか」
    ムス・スルタンがアサノヴィッチの独ソ開戦の予想に疑問を呈した。
    「ヒトラーがソ連に攻めこむかどうかは、日本とにらみあっているソ連極東の情勢にもよるね。日本は満州国の権益を守り、中国との戦争を遂行するために、ソ連を攻撃する気があるのかどうか。ヒトラーはソ連攻撃を始めるよう日本に催促しているそうじゃないか。ということは、ドイツは近々ソ連攻撃を始める気があるのだろう。独ソ戦が始まれば極東からヨーロッパへの陸の通路になっているシベリア鉄道の利用が難しくなってくる。日本の方々は不便をかこつことになるのでは。さて、ドイツがソ連攻撃をいつ始めるか。それを日本に連絡していることは想像に難くない。奇妙なことだが、スターリンは日本のソ連極東地区への侵攻は想定しているが、一方で、ドイツからの攻撃については、真剣に吟味してないようだ。この点について、ぜひ槙村中佐のご意見を伺いたいものですな」
    そう言ってアフメト・エルキンが槙村の顔をじっとみつめた。
     槙村は必死で驚きを抑えようとした。シベリア鉄道が間もなく利用できなるというのは、大島大使が東京に送ったドイツのソ連攻撃に関する一連の暗号電報で使われた予言だったからだ。偶然の一致なのだろうか。
    「みなさんなかなかに鋭い洞察力をお持ちのようですな。政治の動向に敏感でないとヨーロッパでは商売もできないということでしょうか。それはさておき、日本の出方について、ソ連に対抗するためにまず北に向かって軍を進めるのではないかという観測があります。同時に、南のフランス領インドシナ、あるいは鉱物資源の豊かな英領マレー、オランダ領東インドを狙っているのではないかという見方もあります。このところ流布している北進論と南進論です。ですが、不思議なことに適当な妥協点が見つかれば日本は北へも南へも攻撃をしないだろうという説は、欧州ではあまり流布していないようです。ミュンヘン協定の破綻で、宥和政策に見切りをつけたためでしょうか」
    槙村が答えた。
    「それで日本は南北両方で戦線を開くだけの能力があるのでしょうか。あるいは、日本の軍中枢は、自分たちにその能力があると判断しているのでしょうか」
    エルキンがたずねた。
    「その点についは、私などよりもあなた方のほうが詳しいのではありませんか。どうやらその方面にからんだご商売をなさっているとお見受けしました。ベルリンの日本大使館に着任して以来、戦略の現場から離れていますので、感覚が鈍っています。おそらくあなた方が考えていらっしゃるように、日本は北と南で同時に戦線を開く能力をもちあわせていないでしょう。それに、現在は中国の問題をめぐって日米間で野村大使とハル国務長官の協議が始まったばかりですから、その成り行き次第では、北にも南にも攻撃をかけないという展開もありうるでしょう。それに第一、この四月に日ソ中立条約を結んだばかりですよ」
    槙村が言った。
    「そつのないお答えですな、槙村中佐。中佐と同じように、世間もそういう見方をしています。日本は日ソ中立条約に関係なくドイツの期待通りソ連の極東地区へ攻めこむ。あるいは、日ソ中立条約で北からの脅威が減少したので、フランス領インドシナ、オランダ領インドネシア、英領マレーに侵攻して、戦争遂行に必要な食糧、鉱物資源を抑えようとする。そうでなければ、当面、戦線は開かないものの南北両にらみの態勢で、日米交渉の成り行きを見守りながら戦争準備を整える。考えられる選択肢はその三つですが、そのうちどれの道をたどることになるか……」
    アサノヴィッチが槙村の顔を見つめながら言った。
    「その点については、ギリシャのデルフォイへ出向いてご神託をいただくしかないでしょうね」
    槙村の一言でみんな笑い出した。

    コメント
    コメントする








     
    Calendar
         12
    3456789
    10111213141516
    17181920212223
    24252627282930
    << November 2019 >>
    Selected Entries
    Archives
    Links
    Profile
    Search this site.
    Others
    Mobile
    qrcode
    Powered by
    30days Album
    無料ブログ作成サービス JUGEM