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2020.03.08 Sunday

『だまし絵のオダリスク』    第35回

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    「スルクレにはジプシーの音楽を聞かせたり、例の妖艶な踊りを見せたりする小屋があちこちにあって、好事家が集まるイスタンブールの名所になっています。チンピラのグループに写真を運んだジプシーの男は姿を隠しています。ま、いずれ捕まえることになると思いますが」
    「そのジプシーの男に写真を運ぶよう頼んだのはだれですか」
    槙村がしびれを切らせて尋ねた。
    「ヤセミン――トルコ語でジャスミン――とよばれるイスタンブールの闇の組織の幹部だったと、チンピラどもが口を割った。ヤセミンというのは、イギリス、ドイツ、ソ連、相手かまわず金になるのなら危ない仕事を引き受ける組織です。われわれの知る限り、組織というよりは、各国の情報・工作機関の下請けをしている個人業者のゆるやかな連合体といったほうがあたっているかもしれない。チンピラどもの供述では、まず、電話で殺しの依頼があった。殺しのやり方と請負金額について折り合いがついたところで、ジプシーの男が写真を持ってきて、殺しの実行については後で正式に依頼するので、準備をして待っていてくれ、と言った」
    「チンピラたちは依頼者とじかにあってはいないのですか?」
    「必ずしもじかに会う必要はなかった。殺しの依頼者とアルメニア人の暴力組織の間にはヤセミンがいて、ヤセミンが双方を結びつけ、双方に対して保証人の役割をしている」
    「ヤセミンに所属するその男とは何者ですか」
    思わず槙村が身を乗り出した。
    「その男はディミトリオスとも呼ばれています」
    そう言ったあとイケメンがくすくす笑い出した。
    「なんだ、冗談か。まるでいま評判のエリック・アンブラーの小説ですな」
    「冗談はさておき、槙村中佐。ヤセミンの手がかりは何もないのですよ。あるのは、そのような闇の組織があるという噂だけです。そのうえ、捕まえたチンピラたちは、殺しの依頼はあったが、前金の届く前にピーター・ケーブルが殺されたのであっけにとられた、と話している。おれたちは誰かにはめられたのだと言っている」
    「煙幕としてチンピラたちを利用したわけですか」
    槙村がため息をついた。
    「ピーター・ケーブル殺しの手際のよさはチンピラやくざの仕事とは思えない。人殺しの訓練を受けた奴らの手になるものでしょう。オメル・アシク警部はそういう意見だ。それで、われわれはイギリス、フランス、ソ連の情報機関の周辺でうろちょろしているエージェントを内偵しているところです。たとえば、槙村中佐、あなたのお知り合いのムス・スルタンと名乗る紳士もその一人だ。それから、イスタンブール大学のスタイナウアー教授の影も見え隠れしている。だが、この二人はこの事件に関係のないことがわかっている」
     槙村は緊張した。そうか、やはりイケメンはわたしをずっと監視下においていたのか。だが、わたしを監視下に置いている理由はなんだろうか?
    「情報機関が相手ですか。それはちょっと大変な仕事ですな」
    槙村が揶揄するような口調で言った。
    「そこで槙村中佐、その大変な仕事にあなたが一役買ってくださるとありがたいのです。旧市街地のサハフラル・チャルシュスに古本や骨董品を売っている店があります。その店のおやじをわれわれはいま内偵中です。彼との直接的な接触はひかえ、慎重な監視下において泳がせている」
    「なるほど。それでわたしに何をしろと?」
    槙村はイケメンの表情になにやら柔らかな挑発のようなものを感じた。
    「槙村中佐、あなたにやっていただきたいのは、その店を訪ねてもらうことです。殺された田川の叔父だが、彼の死の理由について、なにか情報を持っていないかと、店主に質問していただきたい。それだけで結構です。揺さぶりをかけて、つぎに彼がどう動くかを見ようという作戦です」
    「では、その骨董店がどこにあるか教えてくれませんか」
    「サハフラル・チャルシュス」
    「どこにあるかを聞いている」
    槙村がじれったそうに言った。
    「旧市街地にあるグラン・バザールをご存知だと思う。グラン・バザールとベヤズト・ジャーミーの間に挟まれた狭い路地がサハフラル・チャルシュスです。オスマン帝国時代の本屋街で出版街だった。現在では本屋も出版社も新市街に移転しはじめている。どちらかといえば斜陽の街になり始めているところだ。このところ古本だの骨董品だのを取り扱う店がふえ,古書店通りになりつつある。そこにスタンブール・ブックスという、骨董品が半分、古本が半分、といった構えの店がある。店主はベンとよばれている男です。あの界隈ではベンで通っている。若いころ一旗あげようとアメリカへ渡ったのだ。どういう事情があったのかは知らないが、一〇年ほど前にイスタンブールに帰ってきて、古本屋を譲り受けて商売をしている。英語は流暢なもんだ」
    「わかった。行って見よう」
    槙村が強い口調で言った。
    「保安本部や警察の名前は口にしないでいただきたい。イギリスでもいい、ロシアでもいい、ドイツでもいい、日本でもいい、どこかの情報機関から手に入れたネタによる、ということにしておいてくれないか」
    「承知した。では、これから行ってくる」

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