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2020.06.24 Wednesday

『だまし絵のオダリスク』   第42回

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    「では、こっちも質問させてもらいましょうか」
    槙村が言った。
    「日本大使館員の田川一郎とダンサーのチチェキが殺された事件だが、君たちのほうには犯人について何か情報が入っていないだろうか」
    「その方面の情報は私の専門領域ではない」
    ワレンチンはにべもなかった。
    「ピーター・ケーブル殺しについてはどうだ。彼は君たちの同業者だろう」
    「ピーター・ケーブル。あいつは屑だ。スペイン内戦当時、彼はフリーランスの記者で、イギリスの新聞に記事を送っていた。新聞記者としてのキャリアを積み上げる努力をしていたが、もう一つの仕事も持っていた。イギリス情報機関のエージェントだ。共和国側はソ連の手先であるというフランコ支持派の観点から彼は記事を書いていた。フランコ派のお気に入りのジャーナリストだった。フランコ派の政治家や将軍たちと親しいつきあいをした。そこで聞き出したフランコ派の動向を、共和国軍を支えていたソ連の出先機関に売りつけた。そう、金銭と引き換えにフランコ派の情報をソ連に提供したのだ。情報提供の謝礼金と同時に、ソ連側は共和国側のさして重要ではない情報をピーター・ケーブルに知らせ、ピーターはその情報をフランコ側に提供することで彼らからより信用されるようになった。フランコ側から得た情報と共和国側から得た情報を適当に組み合わせて、あいつはトクダネと新聞記者たちがよんでいるホラ話を記事にした。そのことで、ロンドンの編集幹部から一目おかれることになった。なかなかの商売上手だ。新聞社の原稿料と、フランコ派からの手当、われわれからの謝礼金と三ヵ所から収入があって、その金でマドリッドのしゃれたフラットを手に入れ、フラメンコ・ダンサーの女と暮らしていた」
    「ずいぶん詳しいじゃないか」
    「詳しいのは当たり前だ。私が当時、ピーター・ケーブルの接触相手だった。やがてピーター・ケーブルはフランコ派を支援していたドイツとも接近した。スペイン内戦のローカルな情報だけでなく、その背景にあるヨーロッパ全域にまたがるイギリス、ドイツ、ソ連の確執にからんだ情報を切り売りし始めたのだ」
    「あのころのスペインにはその種の人間が少なくなかったんじゃないか。ナショナリストのフランコを支援するドイツとイタリア、共和国を支援するソ連、その共和国側もトロツキストとアナキストの一派と、ソ連が支援するスペイン共産党を中心とした勢力との内部対立があった。イギリスやフランスなど不干渉を決め込んだ国にとっては、スペインは兵器の実験観察の場でもあった。それはさておき、ピーター・ケーブルは英ソ独のどの国にもっとも忠誠を尽くしたのかね」
    「それは私にはよくわからない。スペイン内戦が終局を迎えるころ、彼はイスタンブールに移ってきた。なぜイスタンブールだったのか理由はよくわからない。イギリス情報機関から指示があったのかも知れない。私は1940年の半ばにイスタンブールにやってきて、ピーター・ケーブルに再会することになった。そのときピーター・ケーブルはイギリスとドイツの二重スパイだった。私もまたピーター・ケーブルを利用し始めた。やつはイスタンブールでもまた三重スパイになったわけだ。三つの国の諜報機関のために働くということは、三つの諜報機関に監視下に置かれ、三つの国にいい顔をみせ、忠誠のつじつまをあわせねばならない。そのような三重生活はいずれ破綻する。いずれかの情報機関が危険な存在になってしまったピーター・ケーブルを処理したのかもしれない」
    「ありうることだ。やったのは君たちソ連か」
    「われわれはピーター・ケーブルを殺していない。したがって、イギリスあるいはドイツの情報機関がピーター・ケーブルの処分を命じた可能性は大いにありうる。ドイツあるいはイギリスにとって致命的な情報をピーター・ケーブルが手にいれたため、それがドイツあるいはソ連にわたらないようにするため、イギリスが彼を始末した。あるいは、同じような理由でドイツが彼を始末した可能性もある」
    「君たちの世界はどんなことでも起こりうる世界だからな。ベルリンで聞いた話だが、ソ連の秘密警察NKVDはスターリンによるトハチェフスキー将軍の粛清にドイツのSDを利用したそうだな。SDが使っているスパイがハイドリヒにトハチェフスキーらが反スターリンのクーデタを起こそうとしているというモスクワ情報を耳打ちした。1936年の暮れだった。そこでSDはトハチェフスキーを失脚させてソ連赤軍の弱体化を狙う陰謀を立案、実行した。トハチェフスキーの反逆を裏付ける文書を偽造して、チェコスロバキアのベネシュ大統領の手に渡るよう細工した。この偽造文書が38年の春にはモスクワに送られ、トハチェフスキーは逮捕、処刑された。SDはこのトハチェフスキー抹殺工作の大成功を自画自賛したが、実はハイドリヒにモスクワ情報を耳打ちした男はソ連側の二重スパイだった。SDはまんまとNKVDに利用されたというわけだ。ピーター・ケーブル殺しにもどこか胡散臭いところがある。それはさておき、田川とチチェキの死とピーター・ケーブルの死は関連があると思うか」
    「それを私に聞くのはお門違いというものだ。判断する材料を持っていない」
    「田川は君たちソ連の情報機関と何か取引をしていなかったか」
    「たとえば?」
    「極東情勢」
    「イスタンブールで情報の駆け引きをやるなら、やはりヨーロッパ情勢だろうな。むしろ、ドイツかイギリスの諜報機関が田川氏を利用していたとは考えられないか? その線をあたってみたらどうかな。じゃあ、今日はこのへんで。有意義な話し合いだった。ところで、この墓地の中の坂道を丘の上まで登ると、チャイハネ(茶屋)がある。チャイハネ自体は簡素なものだが、そこからの眺めは素敵だよ。金角湾をはじめイスタンブールの海が一望できる。以前、ピエール・ロティというフランスの海軍士官で女たらしの小説家がエユプ地区に住み、その眺望に魅せられて足しげく登った場所だといわれている」

     

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