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2020.09.17 Thursday

『だまし絵のオダリスク』   第46回

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    同じ日、アンカラのドイツ大使館のオフィスではマクシミリアン・ベルゲンが、ベルリンから出張して来たアプヴェール防諜部門のエーリッヒ・アドラー少佐と向かい合っていた。少佐はベルリンから空路イスタンブールに到着、列車でアンカラに直行して来た。夜行列車の寝台から出て、そのままドイツ大使館に来たわりには、彼の表情は生気にあふれ、シャツにも背広にも皺がみえなかった。
    「結論からいえば……」
    アドラー少佐が重苦しい口調で切り出した。
    「もはや最終決着を急がなければならない。残された時間はあまりないのです」
    「急がなければならない事情を説明してもらえないだろうか」
    ベルゲンが緊張した顔つきでうながした。
    「アプヴェールがイギリスにもぐりこませていた暗号名をパウロという情報部員のことだ。この部員はイギリス側の二重スパイの役を演じながら、重要なイギリス情報をアプヴェールにもたらしていた」
    アドラー少佐はパウロについての事柄を過去形で話した。
    「もちろん二重スパイだから、ときどきドイツの情報をイギリス側に提供する必要がある。そうした情報については、アプヴェール本部で精査し、事実ではあるがドイツ側にとって戦略上さして重要でないものを選んでパウロに渡してきた。パウロはイギリス側から大いに信用されていた。イギリスはパウロをフランスに潜入させ、ドイツ軍の動きを探らせていた。パウロはドイツ人実業家を装い、パリを拠点にしてヨーロッパ各地を巡り諜報活動をしていた。だが、去年の4月半ば、パリの隠れ家でSDに射殺された」
    「その件は耳にしたことがある。状況を詳しく説明してくれないか」
     ベルゲンが重苦しい声で言った。
    「パウロの隠れ家はサンジェルマン・デ・プレ教会の近くのアパルトマンだった」
    「なぜ隠れ家がSDにばれたのだ」
    「パウロの女友達の一人がSDの手先だったのではないか、とパウロとの接触約だったアプヴェールのパリ駐在部員は言っている。私服のSD二人がドアを蹴破って侵入してきたので、パウロがピストルを撃った。一人の肩にあたった。同時にもう一人のSDがパウロに向かってピストルを連射した。弾は腹と胸にあたってパウロは死んだ。SDが作成した報告書にはそう書いてあった」
    「それで、SDはパウロの身元をかぎつけたのか」
    「SDの報告書では、パウロはイギリスの情報部員だと書かれている。父親がドイツ人、母親がイギリス人で、国籍はもともとドイツだったが、ヒトラーの台頭以来ドイツに嫌気がさして、母親の国であるイギリスに帰ってイギリス人の女性と結婚し、イギリスに帰化した。教育はドイツとイギリスで半々に受け、マールブルク大学で哲学、ケンブリッジ大学で歴史学を専攻――ということになっている。いまのところ、SDはパウロをドイツ人に化けたイギリスの諜報員だと思っている」
    「それはよかった。だが、深刻な問題が別にあるんだろう」
    ベルゲンが言った。
    「そのとおり。SDがパウロの隠れ家から押収した書類は、そのほとんどがパリの地下抵抗組織から提供されたフランス国内におけるドイツの軍事情報だったが、中に一点だけだが、ベルリンから出たとしか思えない情報があった。それはアメリカ合衆国におけるSDの諜報網リストだった」
    「パウロに渡す情報を担当している第袈匹両霾鷙作担当の主任に過去1年間にパウロに渡した情報のリストを提出させ、情報漏れについて相当厳しく質問した。その結果、問題のSDリストは彼の手を経ていないことがわかった。浮かびあがってきたのは、パウロと関わりの深い暗号名をトニーという第一局の諜報員だ。オーストリア併合やポーランド進攻のさい現地で働いたやり手だ。そのことを第袈匹遼苗祇嫻ぜ圓カナリス提督に告げると、提督は捨てておけ、泳がしておけ、と気にとめる様子もなかった。提督には提督の考えがあるのだろうが、SDはトニーを疑っており、最近トニーをベルリンで監視下においた。いずれSDがトニーの身柄を確保し、トニーから自供を引き出す事態は十分考えられる。そうなれば、国家保安本部のハイドリヒがアプヴェールとカナリスつぶしの手段としてそれを使うおそれがある」
    「それは容易ならざる事態だな」
     アプヴェールとドイツ情報部門の覇権争いをしているSDのラインハルト・ハイドリヒは、もともと海軍軍人で一時はカナリスの部下だったこともある。しかし、女性問題を理由に海軍から追放された。失業中にハインリヒはヒムラーに拾われ、やがてSDの長官に抜擢され、SDを傘下におさめた国家保安本部(RSHA)の長官にまでのしあがっていった。ハイドリヒはカナリスに対して激しい競争意識を持っていた。カナリスを追い落として、アプヴェールを国家保安本部の指揮下におこうともくろんでいた。このための準備として、ハイドリヒはアプヴェール攻撃の材料集めに熱を入れていた。一方、カナリスもハイドリヒの野望からアブヴェールを守るため、ハイドリヒに関する致命的な資料を収集ずみだった。ハイドリヒの家系の中にユダヤ人がいるという噂があった。その噂が本当であるということを示す資料だった。
     
     

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